崩壊したバブルと命運を共にした、リーサルウェポン級の超有名巨大廃墟物件、クイーンシャトー。
脳しんとうでも起こりそうな強烈な余韻を残した納豆の街を後にし、その足で向かったのは餃子の街、宇都宮である。
無論、餃子を食べに来たわけではない。いや、否定はしないが、その前にやることがあるのだ。かつて宇都宮にあったという、ふたつの遊里の跡を訪ねる。
これこそが今回のミッションである。
宇都宮駅西口を出ると、そこには2008年の引っ越し時にワイヤーが外れて真っ二つに割れるという惨劇を引き起こし、その後奇跡の修復を果たした餃子像の姿。
しかし目立たない場所でわかりづらいとの理由で、昨年の10月に二階のペデストリアンデッキにふたたび引っ越しをしている。写真は引っ越し前の餃子像。
せっかくなんでYouTubeの動画貼っときますw
宇都宮の遊里について、まずは昭和5年の『全国遊廓案内』より抜粋。
宇都宮遊廓は栃木県宇都宮市河原町にあって、(中略)
貸座敷は目下十五軒あって、娼妓は約百二三十人いるが、、
続いて、昭和30年発行の『よるの女性街・全国案内版』によれば
赤線は釣天井で有名な旧城址のうしろで、中河原と新地の二ヶ所で戦前“玉の井”の通称のあった剣の宮が分散したもの。合わせて100軒、400名。
このうち、中河原というのは現在の「中央5丁目」にあたる。すぐそばに中河原という地名が残っているので紛らわしいが、中央5丁目界隈を実際歩いたらその疑問は瓦解した。
というわけでまずは中河原のほうへ向かった。駅からゆっくり歩いて15分くらいだろうか。散歩にちょうどいい距離である。
途中で出会った渋い理髪店。
旧中河原
かつて赤線があったあたりにやってきたところで目についたのがこの旅館。
場所柄、どうしても穿った見方をしてしまうのはもはや性でしかないが、転業旅館・・ですよね。
裏には市内を縦断するように流れる釜川。ちょうどこの辺りは釜川プロムナードという、ちょっといい感じの遊歩道が整備されている。
とうに退役して、袖看板も外されてるけどこれは間違いない。
たぶん部屋ごとに入口が異なるんでしょう。仕様的には横浜黄金町と似てますね。
こちらも同様。入口横に窓があるけど、張見世用だろうか。
閉ざされた雨戸が、玄関をつぶして車庫にしたことを象徴しているように見える。
おそらくこちらもかつては4部屋で“商売”をしていたのだろう。
『赤線跡を歩く』に載っているバー、「かよこ」を探してみたけどさすがにもうなくなっていたようで見つからなかった。
たぶんこの辺りなんだけどなぁ、って思った場所で一枚。
旧中河原は、今では閑静な住宅街となっていたが、廃業したスナックやバー、旅館のような佇まいの古い建物もあり、何より特徴的な赤線物件がまだいくつか残っていたので比較的名残を探しやすい街だった。
ここまで見てきたのは、『かよこ』があったと思われる車通りの北側である。
通りの南側にもいくつかカフェーっぽい建物が残っているが、このときはそれに気づかず帰ってから悔しい思いをした。
そんなわけで、中河原にあった赤線散策はこれにて終わり。
後編では、かつての遊郭、赤線時代は「新地」と呼ばれた河原町を歩いてみたい。
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