週末に野暮用で長野に出かけることになり、車で行くには遠いんだよなぁ、、よし、金曜休んじゃえ!
でも移動でほぼ一日潰れるのももったいないよなぁ、、せや、木曜の夜に出発しよう!
ってな具合に、何やらハードな遠征になりそうな予感しかしない旅が始まった。
2022年6月のことである。
睡魔と格闘しながら夜のうちに馬籠宿あたりまで走り、翌日は朝から木曽谷を北上。
せっかくなので中山道の宿場をいくつか歩こうと、手始めに須原宿へと向かった。
須原宿は中山道六十九次の39番目の宿場で長野県大桑村に属する。
木曽十一宿のひとつでもある。
元々は今の場所よりやや南にあったが、木曽川の洪水で流されてしまい、享保2(1717)年に今の場所に移転。
木曽谷の中では最も古くに栄えた宿場で、移転したことによって最も新しい宿場でもあった。
宿場の総延長は約450mと、かなりのんびり歩いて10分ぐらいの長さである。
今の須原駅がほぼ東端にあたり、そこから西へ歩き出すと古そうな建物がぽつぽつと点在している。
昔から湧水が豊富な宿場で、いたるところに水場が設けられている。
水場では丸太をくり抜いてつくった「水舟」をあちこちで見ることができ、ゆえに『水舟の里』とも呼ばれている。
西瓜が風流ですなぁ。
須原宿は問屋が2軒、本陣1軒、脇本陣1軒、そして旅籠が35軒という規模だった。
かつて本陣があった場所には立て看板だけが残っていた。
須原宿にはゆかりの人物が多く、幸田露伴は出世作の小説『風流仏』で須原宿に滞在したときのことを書いている。
また、島崎藤村は小説『ある女の生涯』で須原宿の病院をモデルにし、正岡子規も旅の道中、ここで一泊し歌を詠んでいる。
旧脇本陣でもあった造り酒屋「西尾酒造」さん。
木曽のかけはしという日本酒をつくっている。
左にちょろっと見えてるのが正岡子規の句碑。
寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月出つるほとの 空たにもなし
という歌が刻まれている。
続いては島崎藤村コーナー。
ここにかの病院、清水(蜂谷)医院があった。
貴重な明治の医院建築であることから、現在は犬山の『明治村』に移築保存されている。
栄えていたことを象徴するかのように、須原宿は道幅が広い。
そして、全体的に道が曲線的であり、特にこのカーブがいかにも旧街道って感じの良い曲がりっぷりで実に風情がある。
このあたりが「仲町」で、町割りとしては東から順に「上町」「本町」「仲町」「茶屋町」と並んでいた。
昭和2年建立の門柱が残る須原小学校。
2003年に他の小学校と統合され、現在は門を残すのみとなっている。
洋風の建物も一軒残っていた。
平日だったこともあってか、すぐそばを走る現中山道とは打って変わって人や車の往来はほとんどなかった。
宿場内では唯一と思われる「民宿すはら」。
ネット上で写真を見ると囲炉裏があったりなかなか良さげ。
いつか機会があれば泊まってみたいものである。
旧旅籠と思われる建物に講中札が掛かっていて「むむ?」となった。
調べてみると、御嶽山へ詣っていた御嶽講の団体だったそうだ。
旧旅籠「柏屋」。
ここにも二枚掛かっていた。
その先で旧中山道は北へ進路を変え、突き当たりで西へと折れる。
つまるところ枡形であり、ここが宿場の西端であったようだ。
この枡形は「鍵屋の坂」と呼ばれており、この土蔵を見るにここにそういう屋号の旅籠か商家があったのであろう。
枡形を真っ直ぐ進むと、枡形から迂回して来た旧中山道とやがて合流し、さらにその先で現中山道の19号線へと至る。
定勝寺。本堂・庫裏・山門が国の重要文化財に指定されている。
2027年秋頃まで、耐震改修工事のため休業しているとのことなので行かれる方はお気をつけて。
こんなところで須原宿の散策を終え、次の宿場へと向かった。
[訪問日:2022年6月24日]

























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