宮崎県の中ほどからやや北寄りにある日向市。市内南部を流れる耳川の河口に「美々津」という港町がある。
江戸時代に高鍋藩の商業港に指定された美々津は、上方(京都、大阪方面)との交易の拠点となった港だった。
耳川上流で生産された材木を千石船で出荷し、関西方面の特産品や工芸品を持ち帰る。物資や文化の結節点の役割を担っていた。
海の玄関口として、「美々津千軒」と呼ばれるほど栄えた時代の名残は、1986年に「港町」の種別で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)となった白壁土蔵の美しい町並みとして今なお残っている。
町並みを散策する
港から伸びる、二本の筋に面して古い町並みは広がっている。港付近に車を停め、まずは東側にある「中町」から歩いてみた。
中町は古い町家が集中する通りで、もう一本の上町より道幅も狭くさらに南側には石畳が敷かれていたりするのですこぶる雰囲気が良い。
右側に見えるのが岡部家(天保11年)。最も古い矢野家もこの通りにあり、そちらはなんと天保4年。西暦に変換すると1833年。
江戸期に建てられた妻入りの白壁町家が密集して立っており、どれもが大柄で存在感がある。
右側の建物は歴史民俗資料館。安政2年に建てられた廻船問屋『河内屋』を利用した施設で、一般公開物件。大人220円。
美々津は江戸末期から明治末期頃まで廻船業で栄えた港町で、豪商と言うのはいわゆる廻船業者のことである。
河内屋をはじめ、明石屋、播磨屋など畿内の地名が屋号として使われており、上方と交流があった歴史がその名前から見て取れる。
ところどころに共同井戸が設けられている。
堤防の先には日向灘が広がっている。
かつてこの地に莫大な富をもたらした海原は、冬空の下で穏やかな表情を見せていた。
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