大都会のパラレルワールド 岡山『東遊郭』を歩く

この記事は約3分で読めます。

岡山は大都会である。

それはすでにネットスラングの域を超え、事実上のデファクトスタンダードでさえあると思う。
会社の同僚(岡山市出身)などは、自信満々のドヤ顔で「ん?あぁ、てか車が空飛んでるからね」と

ちょっと何言ってるかよくわからない ことを言っていた。

 

そんな岡山にあった東西ふたつの遊郭。

を見るために久しぶりに岡山市にやって来た。
7年ぶりぐらいだろうか?

いきなり驚愕の事実を突きつけられた。

道路の上を電車が走っている・・
道路とは車が走るところではないのか・・一体どういうことなんだ。
さすがは大都会である。

旭川なる河川に、中洲のようなふたつの島が浮かんでいる。遊郭があったのはこの島の上である。

東が「東中島町」、西が「西中島町」

スポンサーリンク

東遊郭

道路の上を走る近未来的な電車を降りて東側の島へと足を踏み入れると、斬新なデザインの建物が建っていた。

何これ。

カッコいい・・さすがは大都会である。

さらに何やら「風俗営業(料理店)」などと書かれたプレートが貼ってある。

未知との遭遇。こんな洒落たものは初めて見た。

目を引く建物は、まだあった。

なんせ大都会岡山である。

古そうな建物に見えても、自動ドアや当時としては最新鋭のデラックスな設備を備えていたに違いない。
見た目に騙されてはいけない。

いや、設備のみならず、遊女のオンライン予約システムや電子決済さえあったかもしれない。

大都会を見くびってはいけない。

とぼとぼと歩いて行くと、国道の高架と交差する場所へと出る。

是非現地へ足を運び、右側の建物を側面から眺めてみてほしい。
各位、ディープインパクトを受けることは間違いないだろう。

 

さて、東遊郭最大の見どころと言われている「富久屋旅館」さんはなんとか現存していた。

横から見るとそのでかさがよくわかる。
と同時に、かなり傷みが激しくすでに末期的であることもよくわかる。

昭和5年の『全国遊廓案内』によれば、東遊郭は「貸座敷約70軒に娼妓約400人」を抱えていたそうだ。

付近は、とてもそんな規模の不夜城があったとは思えないほど寂しげな様相を呈している。

正直、ここが取り壊されてしまったら歴史の語り部を担える建物は事実上消滅したと言っても過言ではないだろう。

是非早いうちに訪れることをオススメしておきたい。

この遊郭島は、東西二本の路地が並行して南北に走っている。

このあたりで西側の路地へと行ってみよう。

一体この細い路地に嫖客がひしめき合っていたなんて誰が信じることができようか。

大都会にも、栄枯盛衰は存在する。

どうやらそれだけは確かなようだ。

西側にも、なんだかよくわからないスタイリッシュな建物が残っていた。

これなどもはや要塞にしか見えない。高度な建築技術と最先端の科学技術を持っていたのだろう。さすが大都会岡山である。

くつろいでいるように見える野良猫にも、その眼光から明らかによそ者を警戒する色が見て取れる。

やはり大都会の猫はひと味違う。

元の場所へ戻ってきたので、今度は西側にある島へ行ってみよう。

西の島から、東中島町を望む。

大都会だったのも過去の話。東遊郭はそのほとんどの名残が消失し、ずいぶんと残念な感じになっていた。

西遊郭はどうであろう。

[訪問日:2018年8月17日]


コメント

  1. 定マニア より:

    岡山県といえば、たたりじゃ!で横溝先生になってしまいますが。遊廓や赤線となると、岩井志麻子先生ですかね。

    • mast-mo より:

      「ぼっけえ、きょうてえ」ですね。あの話は岡山市内の遊郭じゃなくて、美作の山のほうですね。

タイトルとURLをコピーしました