葛ですいません。奈良「宇陀松山」で楽しむ歴史さんぽ

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奈良には伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)が3ヶ所ある。
橿原市の今井町、五條市の五條新町、そしてもうひとつが宇陀市(うだし)の松山である。

五條に行った翌週。宇陀へ行くために今度は単車で奈良を訪れた。

道の駅「宇陀路大宇陀」

自宅からだいたい80km。阪神高速経由で2時間ぐらいかかっただろうか。
宇陀は遠かった。

道の駅に単車を停め、ざっくりした観光マップを手に入れていざ伝建地区へとくり出した。

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宇陀松山の歴史

ここは、通称としては宇陀松山よりもどちらかと言えば「大宇陀」のほうがよく使われる気がする。

この地区が、昔は「大宇陀町」という町だったからだ。

大宇陀は飛鳥時代には「阿騎野(あきの)」と呼ばれ、宮廷の薬狩りの場だった。
それが戦国時代になって宇陀松山城の城下町として開かれ、京都から奈良を通って伊勢へといたる交通の要衝だったことで発展した。

当初は秋山氏の本拠地だったが、天正13(1585)年に追放されたあと城の改修と城下町の拡大整備が行われ、名前も「松山町」へ。

現在の町並みはそのときのものがベースとなっている。

歴史の重さを感じさせる看板

松山町になったとき、有力な商人たちも誘致されたそうで、おそらくこれが商家町として発展する由縁となったのだろうと思う。

そして江戸時代には薬や吉野本葛の生産が盛んに行われ、「宇陀千軒」と呼ばれるほど賑わったと言う。(吉野葛の話は後ほど)

今も江戸~昭和初期の建物が数多く残り、伝統的建造物が全体のうち約200軒とかなり多い。

建物の特徴としては、「格子戸」が多いのがまず第一に挙げられる。
これは実際歩くとよくわかる。もはや格子だらけである。

虫籠窓もよく見られるが、五條新町とよく似ていて年代によって意匠が異なる。
ガラスが入っているのは明治以降のものだろう。

あとは、すりあげ戸やうだつ、犬矢来もちょこちょこ見られた。
ほとんどが平入りで、非常に統一感のある町並みになっている。

通りはこんな感じ。
車は結構通るんだけど、観光客はほとんどいなかった。

道の駅にはあんなに車停まってたのに…。

あゆみ家住宅(天保年間)

変なところから煙突が突き出てる…

都司家住宅。明治元年頃の建築と言われる。
屋号を「更紗屋」と言ったそうだ。

長くなったのでここらで一旦区切ります。

(2ページ目へ続く)

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