琵琶湖を支配した湖族の本拠地『堅田』の集落を歩く

滋賀県
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日本一でかい湖、琵琶湖。
面積は東京23区を超え、一周すると200km。
その距離、大阪から名古屋に行くよりも遠い。

あまりのインパクトから、滋賀県民は「琵琶湖以外何があるの?」と容赦なくいじられ、結果彼らの怒りを買うことも珍しくない。

今日はそんな琵琶湖にまつわる話をしたい。

かつて琵琶湖は水上交通路としての役割を担っていた。まだ鉄道がなかった時代の話である。

日本海で獲れた魚など北国のものを京へ運ぶとき、琵琶湖北部から大津あたりまで船で運んでいたのである。

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堅田湖族

おごと温泉の少し北寄りに、「堅田(かたた)」というまちがある。
ここには、写真のような古い町並みが残っている。

“廃墟モール”として一世を風靡したピエリ守山がある、対岸の守山市へは琵琶湖大橋が架かる。

この堅田~守山間は、琵琶湖の中で最も対岸までの距離が短い。

湖族の郷資料館

この地の利を活かし、平安末期から江戸初期にかけて琵琶湖の漁業権や通行権を独占して一時代を築いた堅田衆という集団がいた。

俗に「堅田湖族」とも称される彼らは、莫大な資金力で『堅田千軒』と呼ばれる自治都市を築いた。

この、かつて琵琶湖を支配した一族の夢のあとは、今なお社寺や風格ある町家としてその名残をとどめている。

その中でも、まず外せないテッパンの観光スポットが「浮御堂(うきみどう)」。
近江八景のひとつとしても知られる有名な寺院である。

平安時代に建立された、正確には「海門山満月寺」という臨済宗の禅寺である。

で、この琵琶湖に突き出した最高にフォトジェニックな被写体、これが浮御堂。

多くの歌人たちに詠まれてきた絶景。それもこれを見れば納得である。

遠く琵琶湖大橋が見える。
最も幅が狭いと言ってもそこはこの巨大な湖。

橋の長さから察するに、1.5kmぐらいはありそうだ。

浮御堂は平安時代、恵心という僧が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したそうだ。

この景色を見て心癒され、救われた人はきっと何人もいたことだろう。
創建時の思いは、時代を超え今でもしっかり息づいている。

浮御堂は、堅田に来たらここだけは絶対立ち寄りたいという場所。
逆に、浮見堂しか見ない人も多い気がするので、是非町並みも眺めていただければと思う。

山門を裏から見たら紅葉が見事だった。
ちなみにここは拝観料300円かかるので、ご承知おきのほど。

満月寺の横に「魚清楼」と言う料理旅館が建っていた。
なんでも、創業約300年、今の建物も150年ぐらい経ってるそうで風格がものすごい。

ちょっとだけ中を拝見させてもらったが、なんとも素晴らしい。

今は宿泊はやってないそうで、いつか機会があれば食事してみたい。

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付近を散策

付近を歩くと、近世頃のものと思われる古い建物がちょこちょこ見られ歴史を感じることができる。

堅田藩陣屋跡

駐車場は、ここと湖族の郷資料館の前。もう少し手前、資料館から歩いて5分ぐらいのところにも大きめのがある。

予想通りと言うか何と言うか・・

素敵な町並みなのに観光客は皆無。浮御堂では何人かいたけど、やっぱりここはあまり知られてないんでしょうね。

三島由紀夫の石碑。

『絹と明察』という小説に堅田の情景描写が出てくるそう。読んでみようかな。

いかにも今は使われてませんと言った雰囲気の堅田港。

堅田湖族の中でも中心的な役割を担っていた「居初(いそめ)家」の屋敷。
屋敷内には、国の指定名勝にもなっている庭園がある。見学は事前予約制だそうな。

堅田湖族が繁栄したのは戦国時代まで。江戸期になると、幕府によって特権が弱められていき隆盛は緩やかに終わりへと向かっていったそうだ。

時間が遅くて資料館に入れなかったのが心残りとなったが、なかなか趣深い町並みだった。

[訪問日:2018年11月17日]


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