昨年末、これまでまったく縁のなかった岡山県北部、いわゆる美作(みまさか)地方に二日間の小旅行に出かけた。
その日は津山で泊まることになったので、ついでとあって今の材木町あたりにあったという遊郭跡を見てきた。
津山は城下町として栄えたまちで、当時の町並みがよく残っている。
遊郭があった材木町は、津山城からほど近い場所にあった。
ドブ川に架かる橋を渡る。その橋こそがかつて結界の役目を果たした「思案橋」。
しかし、ムダに達筆すぎて一文字も識別できない。行くか戻るかじゃなく、まず漢字の読み方で小一時間思案するレベルである。
思案橋の先で道はクランクしている(地図の左中央あたり)。どうやら遊郭はその先にあったようだ。
すでにほとんど名残はなかった
『全国遊廓案内』にここの生い立ちが載っている。
そこには、明治維新後に藩主が市の繁栄のために補助金を交付して設立したとかわけのわからないことが書いてある。
現代人の感覚で捉えれば、「メディアで大炎上したあげく猛抗議をくらって辞任に追い込まれる政治家」を地で行くような驚愕の事案である。
そんな規格外の出自を持つ材木町遊郭だが、結論から言うと目を引く遺構はすでに皆無だった。
なんとなく雰囲気を残した建物がある。その程度だった。
そんな中、最も趣深かったのが「このスタンドバーひとみ」。
生活感はほとんど感じられなかったが、廃屋でもなさそうな雰囲気に見える。
西側の路地から歩いてみよう。
奥の左手、白い塀が見えるところには近年までもっとも妓楼らしい遺構が立っていたようだがすでに跡形もなくなっていた。
貸座敷18軒、娼妓約90人を抱えていた規模的には中規模のシマだったようだ。
居稼ぎ制とあるので、1軒5部屋程度の小ぶりな娼家が多かったのだろう。
ここの地名は、城下の時代に材木置き場だったことにちなむ。
なぜそこが廓の指定地に選ばれたのか。よくよく考えてみたらなかなか興味深い。
南側の路地に「むむ?」と思える建物が一軒。
隣接する公園は、地図上「遊園地」と書かれている。なかなか的を得た表現だ。
その遊園地の一角、かなり目立たない場所に小須賀稲荷神社がある。
江戸時代創建の古社だが、娼妓たちもここで祈りのひとつでも捧げたことであろう。
国道を挟んだ向こう側に純和風な旅館が一軒。
遊郭との関連が気になるところではあるが、それを抜きにしても一度泊まってみたいと思わせる素敵な佇まい。
路地の北東側。
昔の区画はわからないけど、現在の地図ではカタカナの「ロ」の字、いわゆる“THE・廓”の様相を呈している。
ドブ川とどう見ても廃屋であろうモジャモジャ物件が醸し出す最強の風情。
一周して元の場所に戻ってきた。
正面に見えるのが本琳寺。その前に思案橋がある。
材木町遊郭は、昭和32年にその生涯に幕を閉じたと言う。明治に産声を上げ、赤線時代を経て90年ほど存続したことになろうか。
消滅してからはや60年が経過した色街。苦界だった名残を探すのは、すでに困難なものになっていた。
師走の寒風が身に沁みる、どことなくうら寂しい町並みだった。
※すみません、次回別シリーズ書きます
[訪問日:2018年12月22日]
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