かつて、阿波藍の集散地として栄えた徳島の脇町。
栄華を今に伝えるうだつの町並みを、歴史を感じながら歩いてみよう。
保存地区の建物は江戸中期から昭和初期にかけて建てられたもので、江戸と明治が大半を占めている。
お?この田村家にはうだつがない。
うだつには理由がある
実はこれ、ちゃんと理由があってのこと。
江戸も末期に近い1829(文政12)年に脇町で大火が発生し、169棟をも燃やす惨事となった。
また、6年後の1835(天保6)年にも29棟が焼失している。
これじゃあかん・・
防火大事!!
かくして商人たちはうだつを設けるようになったと。
なので、オプション的にうだつがついてるのは江戸末期から明治に建てられたもので、それ以前の古い商家についてはうだつのないいわゆる標準スペックとなっている。
これとかちょっと面白い。
うだつの屋根を支える部分が丸みを帯びたデザインになっている。
藍染め・みやげ物屋の「うだつや」。
大火後、安政2(1855)年の建物。
明治期に建てられた平田家。
将棋名人、小野五平翁の生家だそうな。
知らんけど。
こちらのワタル珈琲は大正期の建物。
人間で言うと「均整のとれた顔立ち」って感じかな。この商家、個人的にデザインがすごく好き。
建物も当然まったく同じものなんかなくて、一棟一棟全部異なっている。
この違いに目を向けて観察すると、散策もより楽しくなるんじゃないかと。
そうそう、よく見ると屋根が丸みを帯びてると思うんですが、これは「むくり屋根」と言って商家によく見られる建築様式。
「商人は常にお客に頭を下げる」から来ている、低姿勢、丁寧さを表現した日本独自の様式。
これは日本の公衆電話ボックスで2番目に古い形のものを再現したもので、「自動」じゃなく「自働」となってるのは当時その文字が使われていたからなんだとか。
北側に並行する中町に、途中で曲がった面白い電柱がある。
パンフレットには「おかしな電柱」と紹介されてるちょっと可哀想なやつ。
そのひん曲がった電柱の先を「松屋小路」と言う。
かつては料理屋が立ち並び、夜遅くまで三味線の音色が町並みに流れていたそうな。
確かにちょっと色街っぽい風情があった。
通りの南側が低くなっているのは、ここがかつての吉野川で船着き場だった頃の名残。
今は川の手前に県道と道の駅(正面の車が停まってるとこ)があるけど、昔はここまでが川だったんですな。
このうだつの町並みから始まった、3泊4日の四国ツーリング。
そこそこ回ったので年内いっぱいかかっちゃいそうな気がするけど、のんびり綴っていくつもりなのでごゆるりとお付き合いいただければ。
[訪問日:2018年11月23日]
コメント