天領として、また郡代として、多くの豪商を生んだ日田・豆田町。
タイムスリップしたような江戸の町並みが、今なお色濃く残っている。
ここまで歩いてきたのが、西側の「御幸通り」。
もう一本、東側に「上町(うわまち)通り」がある。
そう言えば、ここはあみだくじだった。横に五本も筋がある。
全部見ようと思ったらちょっと大変だけど、とりあえず行ってみるか。
魚町へ
石畳が美しい魚町(いおまち)
いい雰囲気だなぁ、ここ。
幕末に教育者として活躍した廣瀬淡窓(たんそう)の生家が「廣瀬資料館」として公開されている。
この魚町付近、風情が最強すぎてもうね、ハートをわしづかみにされちゃいまして。
将来の田舎暮らしを夢見て日々悶々と過ごしている筆者は、「このまちは自分に合うだろうか」「ここに住んだら自分はこういう生活を送るだろうな」ってことを実はまち歩きのたびに割と真剣に考えていたりする。
で、このとき思ったこと。
日田・・
めっちゃ住みたいここ!!
理由としてはこのあたりかなぁ。
- 川端風景が好きなので、川があること
- 豆田町がとにかく素晴らしすぎたこと
- 温泉があること
鉄道も通っててクソ田舎じゃないし、別府や博多もそこそこ近いし、自分には色々ちょうどいいな、と。
まぁ、あくまで将来のひとつの候補ってことですが。
脱線したんで話を戻しましょう。
魚町の一本北、住吉町にある歴史交流館。元歯科の建物で、大正3年に建てられた3階建ての洋館。
日田まぶし?
日田は水がきれいなまちで、(そう言えば「日田天領水」ってありましたね)うなぎが名物だそう。
で、ひつまぶしならぬ「日田まぶし」と言う、オマージュあふれる料理を提供するのがこちらの千屋さん。
食べログ見たら結構お高いんだけど、評価も恐ろしく高い。食事をする際は候補に入れてみてはいかが。
岩尾薬舗 日本丸館
このただならぬ外観の建物は、安政2年開業の岩尾薬舗。もちろん大分県で最古の薬局。
「日本丸」とは、明治20年(1887年)に製造販売を始めた同社の万能薬で、同時に看板商品でもあった。
当時、爆発的なスマッシュヒットを飛ばし、会社は莫大な利益を得た。ところが、原料不足によって昭和40年代に製造を中止した、今となっては幻の薬。
で、今はここ「日本丸」の資料館になっている。
ちなみに読み方は「にほんがん」。みなとみらいに停泊してる帆船とは違いますのでお気をつけて。
建物は明治後期に改築したものらしいけど、全体的にかなり不思議な意匠をしている。
開いてたら入りたかったな。残念。
日が傾いてきた。もうタイムリミットも近い。
この日は日田に宿を取っていたので、予定としてはここが最後だった。
上町通りの北端にある薫長酒造さん。
オフィシャルサイトに書いてある通り
薫長酒造の酒蔵はこの地で江戸期に酒造業を行っていた日田随一の豪商「千原家」から受け継いだもので、昭和7年に福岡県の酒造会社の四男(冨安豊)が冨安合名会社の日田醸造場として創業したのが始まりです。
江戸~大正期に建てられた酒蔵で今でも製造を行っているすごい造り酒屋。
忍び返しの密度がすごい…。ディフェンス力高すぎでしょ((((;゚Д゚)))
ちなみに、日田は水がきれいと言ったとおり酒造りが盛んな土地で、老舗の造り酒屋の他にもいいちこの蒸留所、サッポロビールの工場なんかもある。
・・ますます住みたくなってきたぞ(笑)
夕陽に照らされた薫長酒造の煙突が印象的だった川端風景。
天領・豆田町は、本当に素敵な町並みだった。
大分に旅行に行こうと思っている方は、別府、由布院の次ぐらいに日田を候補に入れてみると、きっと幸せになれると思う。
[訪問日:2018年12月30日]
コメント
豆田町の町並みは、本当に美しく日常の慌ただしさを忘れさせてくれました。
「・・・住みたい。」と思いました(笑)
日本丸の中は、当時使用されていた物が所狭しと展示されており撮影も許可されていました。建物がなんとも複雑で「迷子になる」と思いながら見学しました。入館料はリーズナブルなのに、かなりの見応えでした。
古い町並みや商店街の裏通りが好きなんですが、中でも豆田町は何度も行きたくなる町です。
約3年前から『レトロな風景を訪ねて』さんを拝見しており、昨年観光(2回目)した豆田町だったので思わずコメントしました。これからも楽しみにしています。
長文失礼しました。
はじめまして。コメントありがとうございます。
話を聞いてみると、日本丸はやはり入ってみたかったなぁと思いました。
私も好きが高じてあちこち古い町並みを歩いてますが、豆田町は特に趣深く印象に残る場所でした。また行きたいです。
そんなにも前から私のしょうもない文章を読んでくださって…大変恐縮しています。
これからもよろしくお願いします!