国宝&現存天守の犬山城と城下町の本町通りを見てきました

愛知県
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引き続き、犬山城下町をぶらぶら。

昭和10年頃まで酒造業を営んでいた高木邸。
大正初年の建築。

こうした古い町並みが観光地として脚光を浴びることは個人的にはすごく嬉しくて、もちろん「ばえ~」とか言いながらSNSに写真上げるだけでも十分意味がある。

現地に行って、実際に自分の目で見て路地を歩く。そこから建物や町並み、歴史に興味が移る人が増えたらいいな、なんてことを思うわけで。

創業慶応2年の和菓子屋「松栄本店」

かく言う筆者自身も、全国の町並みを歩いてこうしてブログで紹介しているのは、ここから興味を持って現地に足を運ぶ人が一人でも増えたらいいな、という思いでやっている。

やっぱり、写真や映像で見るのと実際に生で見るのはもう全然違うので。

 

時間は朝10時。
眠い目をこすりながら早朝の新幹線に飛び乗り、早めに来た甲斐あってそこまで人通りも多くなく写真も撮りやすかった。

やっぱり人気観光地は朝に限る。

犬山名物あげよもぎ

ちょっと惹かれたけど減量中だったので見なかったことにした。。

犬山の町家はこんな風に間口が狭いものが結構多い。

江戸時代の商家は間口の長さで税金が決まったので、城下町や商家町では間口が短く奥行きが長いいわゆる「うなぎの寝床」スタイルの町家がよく見られる。

本町通りを歩くとそこまで古さを感じさせる建物が少なく、観光地仕様に修景されてしまったものが多いように感じた。

少し残念ではあるものの、これはこれでしょうがないのかな、とも思える。

かつて高札場と火の見櫓があった丁字路。
ここまで来たら本町通りももうすぐ終わり。

なんだかんだ、ここが一番風情があったように思えた。

どうも城下町は、まちおこしの一環で団子を名物にしてるっぽいんですが・・え、ちょww

団子で鯛が釣れるかっつーの!w

毎年4月に行われる「犬山祭」で使う山車をしまっている車山蔵(やまぐら)。
明治42(1909)年、100年超の蔵で国の登録有形文化財にもなっている貴重なもの。

 

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犬山城へ

さて、お待ちかねの犬山城へ参りましょう。右手に見えるのが先述した「三光稲荷神社」。

別名「白帝城」。

織田信長の叔父にあたる織田信康が1537年に築城したと伝えられている犬山城。
現存12天守のひとつであり、しかもその中でも最も古いと言われている。

尾張国と美濃国の国境にあり、その立地性から別々の時期に信長・秀吉・家康それぞれが攻め落とそうとした日本史上極めて重要な歴史を持つ城で、そんなわけで江戸初期まではめまぐるしく城主が入れ替わった。

江戸初期、成瀬正成が城主となってからは代々成瀬家が城主を担うことになる。

明治維新を迎え、犬山城は廃城となり、天守を除く大部分は取り壊しとなり公園になった。(尾張藩もなくなったので愛知県所有の城になった)

 

ひとつ面白いエピソードがあって、濃尾地震(1891年)で天守が半壊した際に、復旧に手が回らなかった県が旧城主の成瀬氏に無償譲渡を行い、そのため2004年まで犬山城は唯一の個人所有の城だった。

そんな、500年近くここに立ち続けている天守から眺める木曽川と濃尾平野の眺めは、天候にも恵まれ感動を覚えるほどの絶景だった。

この犬山城も、過去最低だった2003年と比べて来場者は3倍まで回復したそうだ。
活気に湧く城下町の散策、食べ歩き、そして犬山城から眺める絶景。

週末の過ごし方としては、これ以上ない贅沢なものになるだろうと思う。
もちろん、余力と興味のある方は裏通りの『櫻楽園』もお忘れなく。

[訪問日:2019年1月6日、2020年1月19日]


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