焼き物発祥の地、壺屋やちむん通り。
壺屋焼には組合があり、地図には窯元の場所が記されていた。
これを見ると、やちむん通りだけでなく路地裏にも窯元が点在していることがわかる。
実はこの路地裏こそが壺屋の本当の見どころ。
前頁で触れた「石垣に囲まれた昔ながらの風景」が色濃く残っている。
牧志方面から歩いてきた場合、やちむん通りはひめゆり通りにぶつかる。
で、少し戻ったところでこんな工房があるのでこれが目印。
ここから坂道を上り、路地裏へと入って行く。
旧新垣家住宅
正面に見えるのが国の重文にもなっている「旧新垣家住宅」。
主屋は江戸末期のもので、壺屋に唯一残る陶工の住宅。
また、敷地内には上焼の登り窯、東ヌ窯(あがりぬかま)が現存している。
塀も焼き物の町らしい。
文化庁のデータベースにあるとおり
主屋を中心に,作業場,離れ,登窯をはじめ,施設のほぼ全容を残し,沖縄の民家及び壺屋の歴史を知る上で,欠くことのできない重要である。
相当貴重な建物なので是非見学することをオススメしておきます。
なお、観覧時間は
金曜日・土曜日・日曜日・祝日(一部を除く)の午後1時から午後5時
とのこと。
最後に路地裏を歩きながら、戦後の壺屋の話を少し。
空襲を免れた壺屋には各地に散らばっていた陶工が集められ、生活に必要な食器類を作り、それを市民に無償で配ったと言う。
被害が少なかったことで各種施設が建てられ、文字通り復興の中心として壺屋は発展していくことに。
ところが、いつの間にか住宅密集地となった壺屋で、今度は登り窯の煙が公害として問題になってしまう。
ついに市から「薪を使う窯は使用禁止!」の勧告が出され、困った陶工たちの多くが新天地として読谷村に移っていった。
これが今の「やちむんの里」のルーツ。
そんなわけで、壺屋は「やちむんの故郷」、読谷は「やちむんの聖地」と呼ばれているそうな。
まぁ、読谷のほうは行ったことないんだけど(笑)
壺屋には猫が多かった。
のんびりとゆるい時間が流れる。それも魅力のひとつだろうと思う。
こちらの「育陶園」では陶芸体験教室が行われており、シーサーやお皿などを作ることができるそう。
シーサーか、ちょっと作ってみたいかも。。
あまり時間がなかったのでさらっとしか見れなかったけど、壺屋やちむん通りはずいぶん歩きがいのあるところだった。
また来る機会があれば、窯の見学や陶芸体験もしてみよう。
土産も買いたいし。
国際通りから近いので、どこを観光しようか悩んでいる方は是非とも候補のひとつに加えてみてはいかがだろう。
[訪問日:2019年3月24日]
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