まさか1年後には世の中がこんな大変なことになっているなんて1ミリも思っていなかった2019年6月。
能天気な筆者は府中市にいた。
と言っても東京ではなく。広島の府中市である。
上下から約30km。府中市の中心部からもほど近い、旧老松町にあったと言う遊郭跡を見に来た。
観光協会の駐車場にクルマを停めとぼとぼと歩き出すと、元々は明治5(1872)年に創業した料亭旅館「土生屋」だった木造3階建てが目の前に現れた。
府中が石州街道の往来で栄えた時代から多くの著名人がこの旅館を訪れたそうで、犬養毅、岸信介、福田赳夫等の政界人や作家の井伏鱒二など実にそうそうたる顔ぶれ。
残念ながら、平成に入って旅館としての歴史を終えてしまうが、2004年には登録有形文化財に。兼ねてから再生が望まれていた中、2012年に「町屋Cafe&Dining 恋しき」としてオープン。
が、、しかし!!
2019年の3月を持って閉店。
現在、今後の活用について絶賛検討中だそうだ。
ってことはあと少し早かったらここでご飯食べれたのか。惜しかったな…。
老松遊郭
さて、この「恋しき」がある界隈が旧老松町。かつて遊郭があった土地である。
『全国遊廓案内』の「府中町老松遊廓」を見てみると、揚屋二十九軒に娼妓が九十六人いたそうだ。
なまこ壁が目を引く元スナックは、とうに廃業しているようだった。
外観には手を加えられているけど、よくよく見たらかなり古そうだ。
で、実を言うと、今立ってるこの道こそが旧石州街道。
古い建物が多いのも納得。
もうひとつ歴史の話をすると、府中には約1300年前、備後国(備後は今でいう広島東部)の「国府」が置かれていた土地柄で、府中の名はこれに由来している。
国府というのは国ごとに置かれた中央政府の出先機関で、今で言う県庁みたいな感じだろうか。
もちろん、東京の府中も武蔵国の国府が置かれていたことが名の由来だったりする。
あてどなく歩いていたらたどり着いたこの通りに、かつて貸座敷が並んでいたそうだ。
見ての通り、現在は名残と呼べそうなものは見当たらない。
なおも、あてどなくふらふらと付近を彷徨った。
古いまちらしい、品性を備えた町並みだった。
煙突が見えたので、引き寄せられるようにそちらへと向かう。
飛び出し注意!
そこは「稲荷湯」と言う元銭湯の建物だった。
往時は、さぞ遊客のご贔屓に預かったに違いない。
今では見るに耐えない姿に。
あまり先は長くないかもしれない。
おまけ。
古民家を改装した「季のむらcafe」。2018年11月にリニューアルオープンしたそうだ。
※2023年9月に閉店されたようです
暖簾をくぐりたい気持ちをぐっと抑えて・・
元来た道を引き返し・・
せっかく広島に、しかも府中に来たんだから。
お昼は「府中焼き」を頂きました。
10年ぐらい前のB-1グランプリで知って、いつか現地で食べてみたいと思ってた府中焼き。
ようやく願いが叶いました。ごちそうさまでした。
おわり。
[訪問日:2019年6月28日]
コメント
府中を歩きに行くか迷ってたんですが,やっぱり行ってみようかなぁ・・・(いつになるかアレですが
単体だとちょっと物足りないので、上下とセットがよいと思います。
(とか言いながら来週末あたり行ってそうな・・w
折角だからコ-ヒ-だけでも、、、
私は町歩きするとかならずか街カフェよりますね。
歩いたあとの珈琲はまた美味いんですよねぇ。
わかります^_^