銀と天領と分水嶺。白壁ロマンのまち『上下』を歩こう

広島県府中市に「上下」というまちがある。
読み方はそのまま“じょうげ”。

かつて、石見銀山で産出した銀を運ぶ石州街道の中継地として栄え、幕府の天領でもあった華やかな歴史を持つまちである。

今も残るその面影を探しながら、上下の町並みをぶらぶらと歩いてみた。

深夜割を適用して高速代をケチるために 朝から時間を有効に使えるように、夜のうちに出発してPAで寝たので上下に着いたのは朝10時前。

さすがに広島はちと遠かった。。

2004年に府中市に編入されたが、元々は「上下町」だった。
この一風変わった名は、このまちが“分水嶺”であることに由来している。

ここより東南の水は芦田川を経て瀬戸内海へ。西北の水は江の川(ごうのがわ)を経て日本海へ注ぐ。

これが「上下」の由来となっている。

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白壁のにあうロマンのまち

上下町商工会館(旧郡役所跡)

石州街道の宿場町として栄えた名残は今も随所に残っており、『白壁のにあうロマンのまち』のキャッチコピーで観光地化されている。

正面に見えるのが上下駅。ちなみにここまで電車で来ようと思ったら、福山から福塩線で1時間半ちょっと。完全に小旅行の部類に入る。

それじゃぼちぼち街並みを見て行きましょうか。

キャッチコピーの通り、白壁の家が多い。

特徴としては、庇の上のなまこ壁。ときどき上がっているうだつ。
妻入、平入は半々ぐらいのハイブリッドスタイル。

たまにこんな感じのドキッとするような路地裏が伸びているので油断ならない。

地元のおっちゃんと日常の一コマ。

余談だけどアンガールズ田中がここ上下の出身で、白壁の町並みは中学時代こんな風に毎日チャリンコで走っていたそうな。

よくよく観察すると風格の漂う建物が多く、そこからはただの宿場町ではなかったことが感じられる。

江戸幕府の天領となった上下

銀を運ぶ街道の中継地点として重要視された上下は、江戸時代に幕府の天領になり代官所が置かれた。

現在の代官所跡。何も残ってない。。

最初5万石あった天領はのちに3万石程度に減ってしまい、上下の代官所は大森代官所の出張陣屋(出張所のようなもの)に言うならば格下げとなってしまう。

ただ、物資の集散地となって賑わいをみせるようになると、今度は宿場町として栄え、同時に豪商を輩出するようになっていった。

その頃には石見銀山の銀産出量も減少に転じており、それを補填するために銀を元手に陣屋が有力商人たちに掛屋(金融貸付業)を営ませた。

「上下銀」と呼ばれたこの制度。上下特有のものだけど、日田市の豆田町でも似たような話があったねそう言えば。

上下歴史文化資料館(旧岡田邸)

そんな歴史を知ると、山あいに突如現れる重厚な町並みの意味もストンと腑に落ちた。
それにしても立派な建物だ。

上下キリスト教会

明治時代に財閥角倉家の蔵として建てられ、戦後教会となった「上下キリスト教会」。

上下のシンボルとも言える建物。

アクセント的にぽつぽつと建つ黒壁の商家。町並みに変化をつけている。

白壁のにあうロマンのまち。

なるほど、確かにロマンを感じるぜ。

(2ページ目へ続く)

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コメント

  1. maru より:

    有名じゃないけど、よい街並みですね!
    堪能しました。

    • mast-mo より:

      なかなかの街並みでした!
      機会があれば是非足を運んでみてくださいね^^