崖の上の遊里。飯田市『二本松遊郭』と青線跡

長野県はアホみたいに縦に長い。

広すぎるがゆえ、南北で「北信」「中信」「南信」の大まかに3つのエリアに分けられる。(中信の東にある「東信」を含め、全体では4地域)

中心は北信が長野市、中信が松本市。ここまではいいと思う。そして、やや知名度は落ちるが南信のそれが飯田市である。

そんな飯田市を初めて歩いたのは、同地にあった遊郭跡を見ることが目的と相成った。

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二本松遊郭

その場所は飯田駅の東方、歩けば15分ほどの距離にあった。

俗に『二本松遊郭』と呼ばれる遊里は、現在の地名もそのまま二本松だった。

「天満宮普門院」という神社があるので、ひとまずそこを目指して歩けばよさそうだ。

境内には当神社の案内板が設置されており、そこに二本松遊郭も登場する。(なぜか写真撮ってなかった)

それによれば、境内には立派な二本の松があり、それが遊郭の目印としても機能していたとある。
おそらく二本松の地名もこれにちなんでいるのだろう。

ただ、結論から言ってしまうと、今現在遺構と呼べる建物はきれいサッパリなくなってしまい、通り沿いで見られるのは新しいアパートや戸建てばかりである。

最も名残らしい名残がこの鉤型の路地。
奥が見えないようにするためのつくりで、遊里跡でちょいちょい見かける地割である。

ぱっと思い出せる範囲では、八戸の小中野や山形の小姓町あたりがそれにあたる。

鉤型の先には給食センター。が、正面には『仕出し・御料理いなもと』の文字が踊る。

…全力でまちの系譜を物語っていた。

さらにもうひとつ。どんつきにはこれ見よがしにお稲荷さんが鎮座していた。

郷里へ戻れる日を夢見ながら、ここで祈りを捧げた遊女もいたことだろう。

ふと脇の路地に目をやると、行儀よくちょこんと座った猫が物憂げな目でこちらを見ていた。

この地で身罷った遊女の生まれ変わりだろうか。
筋書き的にそう考えるのが最も理屈が通るような気がした。

 

二本松遊郭。
10軒110名もの規模を数え、実はかの阿部定がいたこともあるほどの遊里としては哀しくなるほど、痕跡を見つけることは困難であった。

長居は無用とばかりに、次の目的地へと向かった。

 

二本松遊郭のやや南西あたりに、青線があったそうだ。
今度はそちらへ向かってみよう。

進むのが不安になるような細い路地へと分け入り、目的地を目指す。
ネタバレすると、ナチュラルに道を間違えていたw

とは言え、こんなワクワクする路地裏に出会えたのなら結果オーライである。
いや、むしろ道はこっちで正しかったと言い切ってもいいぐらいである。

ぬけられました。

お疲れさまでした。

抜けた先は崖の上だった。
この下には、谷川と言う川が流れている。

川向こうにはなんとも素晴らしい光景が広がっていた。
川べりにへばりつくように、肩を寄せ合いながら自らの居場所を守り続けるバラックたち。

息を呑むほど美しかった。

(2ページ目へ続く)

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