巨大迷路に酔いしれろ!飛騨金山の路地裏「筋骨」は中毒性の高いアトラクションでした

下呂温泉から南へ約30km。
飛騨金山は、かつて飛騨街道の宿場町『金山宿』として栄えたまちである。

街道筋に残る古い町並みをひと目見ようとふらっと立ち寄ったら、想像を絶するほどの収穫を手にしたので写真とともに丹念に振り返ってみたいと思う。

下呂温泉で一泊した翌朝は、雲ひとつない快晴。
国道41号を南下し、9時を少し過ぎた頃に飛騨金山に到着した。

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国境のまち

金山町(平成の大合併により、現在は下呂市金山町)は飛騨国と美濃国の境界にあたり、また、天領、尾張藩、苗木藩、郡上藩の境目でもあったので金山宿は江戸時代以降、交通の要衝として大層賑わった。

元割烹旅館「福寿美」

1928(昭和3)年に飛騨金山駅が開業し、従来は船で渡っていた区間に金山橋が架けられた。これにより金山のまちは発展していく。

最も栄えたのが馬瀬川上流にダムを建設した昭和40年代のことで、商店街の賑わいは「まるで上海のようだ」とまで言われたほどだったそうだ。

 

という訳で、まずは旧飛騨街道から歩いてみよう。

駅前商店街の南側へ歩き出すと、城造り建築と紹介される木造3階建て、「清水楼(せいすいろう)」の威容がひときわ存在感を放っていた。

宿場だった頃から料理屋として使われ、今の建物は明治8年に改築されたそうだ。
晩年はうなぎ屋だったのだろうか。

清水楼の裏手には、住民の財産となっている湧き水。
金山は地下水が豊富で、このような共同の水場が何ヶ所か存在している。

清水楼の対面には、清水楼以上に異彩を放つ3階建てが・・

何だこれは・・と思ったら、さっき見た割烹旅館「福寿美」さんの正面だった。
なんと2018年の西日本豪雨の影響で閉館してしまったそうで実に残念。

モダンな外観に、贅を尽くした内装(ネットで探すと写真が出てきます)。

ここに来るのがもう1年ぐらい早ければ泊まるチャンスもあったと思うと悔やみきれないぐらいの素晴らしさだった。

 

ところで、宿場町として栄えた飛騨金山には遊郭もあったそうだ。
この二棟を見た時点で、「あぁ、遺構ですよねわかります」とほぼ決めつけにかかっていた。

そんなとき、前方に何やら団体の姿が・・!!

 

近寄ってみると、地元の観光ガイドによるツアー客だった。
参加するよう促されたのでどこかの建物に入り、みんなと一緒に「金山巨石群」の話を聞いてたけど長そうだったので離脱・・

外で待機してたガイドさんに話しかけてみた。

 

「このへんの観光マップとかってありますか?」

「ありますよ。どうぞ」

「ありがとうございます!」

 

・・・

 

「そう言えば、昔この辺に遊郭があったって聞いたことあるんですが何かご存知ですか?」

「あぁ、ありましたよ。○△×のあたりに当時の建物が残ってます」

 

!!?

(なん…….だと……)

 

「えっ、ホントですか。あとで行ってみます!(内心、渾身のガッツポーズ)

「ちなみに、すぐそこの建物って違うんですか?てっきりあれがそうだと思ったんですが」

「あぁ、あれは違います」

 

・・お、おぅ。マジか(;゚Д゚)

 

いや、でも棚からぼた餅とはまさにこのこと。
すごく人柄の良いガイドさんだった。えぇ人や・・おっちゃんありがとう。

 

ひとまず楽しみは最後に取っておいて、街道沿いから見て行こうか。

まだあわてるような時間じゃない(急に余裕ぶる奴)

こちらは現役の清水屋旅館。
古くて味のある建物だ。機会があれば泊まってみたい。

向かいの建物は空き家っぽいn・・・ん?

ほぉ・・

どう見ても飲食店には見えないけど、何だったんだろうか。

現役の商店。

パンフレットに「昭和の銭湯」と紹介されている「旭湯」さん。
昭和60年まで営業していたそうだ。

脇道に入ると、飛騨街道沿いからは想像もできないような景色が見え隠れする。

飛騨金山の代名詞とも言える、「筋骨」である。

(2ページ目へ続く)