異国情緒を味わえる長崎の「東山手」は日本三大がっかり名所と呼ばれるオランダ坂沿いに洋館と洋風住宅が点在する見ごたえある場所だ。
東山手の反対にあたる大浦川の左岸には、同じように「南山手」が存在する。
ただし、こう言ってもほとんどの人はピンとこないだろうと思う。
すり鉢状の長崎市。市電が横を走る大浦川がちょうど谷にあたり、東山手も南山手も丘陵地にある。
特に南山手は傾斜がキツく、住民のために「グラバースカイロード」と言う珍しい斜行エレベーターが設置されているほどだ。
エレベーターで最も高いところまで上がると、眼下に長崎港の絶景が広がっている。
このすぐそばにあるのが、2015年に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産の仲間入りを果たしたグラバー園である。
目的地はグラバー園だった…
グラバー園は2011年に一度来てるのでこの日ははなから中に入る予定はなかった。
今回は“重伝建としての南山手”が目的だったので、保存地区の地図を頼りに構成する建造物を見て回ろうと思っていた。
ところが・・
付近をうろうろすれど、目的の建物が一向に見つからない。
え、なんで??
もうこの時点でだいぶテンパっていたが、5分ぐらい色々調べたら衝撃の事実が明るみになった。
目的の建物は、グラバー園の中にあった!!
嘘だろwwww
いやだって、グラバー園ってどっちかと言うとテーマパーク寄りの観光スポットじゃない。
今まで散々重伝建を歩いてきた経験が仇となり、まさか一部が有料施設内にあるなんて発想がまったく出てこなかった。。
ちょうど時間も押してたので・・よし、やめよう!
というわけで、ここから先は2011年に撮った写真です悪しからずw
これGWなんですが、快晴にも関わらず空がすこぶる霞んでるのは黄砂ですわ。
このときずっと九州にいたんだけど、車が砂で真っ白になってずっとげんなりしてたのも今ではいい思い出。
さて、名前はよく聞くグラバー園って一体どんなところなのか。
ざっと解説しましょう。
グラバー氏、ことトーマス・ブレーク・グラバーは開港直後に長崎にやって来たイギリス商人。
西洋から最新技術を輸入し、造船、製鉄、石炭などの分野で日本の近代化に多大な貢献をしたことで知られる人物である。
居宅だった旧グラバー住宅をはじめ、同時期に日本に来た同じくイギリス商人のリンガー、オルトの旧邸を中心とした博物館がグラバー園である。
1865年(慶応元年)に建てられた旧オルト住宅。
オルト氏は貿易商として製茶業を中心に活躍した実業家として知られる。
応接室
オルト氏は4年ほどしか住んでなかったそうで、その後紆余曲折を経て昭和45年に市の所有となった。今の建物は明治期の姿に復元されたものだ。
グラバー園内の建物は、市内の他の場所から移築されてきたものも多く、こちらもそのひとつ。
お待ちかね、こちらが旧グラバー住宅。1863年(文久3年)と、木造洋館としては日本最古のものとなる。
昭和42年の修理で、明治20年代の姿に復元されている。
中の写真はなぜか撮ってなかったようでありませんw
グラバー園は非常に見晴らしがよく、長崎港が一望できる。
横浜も神戸もそうだけど、旧居留地ってなぜか高台にある不思議。あ、函館もか。
再び2019年に戻って参りました(笑)
続いてグラバー園の西側へ。
こちらは明治中期に建てられた旧杠葉(ゆずりは)病院本館。
現在、病院は別の場所に移転してこの建物は使われていない。
そのままグラバー通りを西へ進むと、ドンドン坂と言う石畳の坂道がある。
東山手のところで紹介した「三角溝」を装備しており、雨が降るとどんどんと音を立てて勢いよく水が流れるからこんな名前になったそうな。
ドンドン坂から見える煉瓦造の洋館は1898年に建てられた元修道院「マリア園」。
2017年に森ビルが取得し、今後リゾートホテルになる予定だそうだ。
これはどの辺だったかな・・忘れたw
最後がドンドン坂を下った、国道の一本山側の通り。
この通りも洋館が点在している。
下に見えるのは「南山手乙9番館」。現在、長崎出身の画家の個人美術館となっている。
最後。明治中期に英国人が建てた「南山手8番館」。
こちらは、南山手地区町並み保存センターという資料館になっている。
あ、違う。最後じゃなかった。
2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界遺産になった大浦天主堂もまた、南山手の伝統的建造物。
なんで斜めってんだろう。下手くそにもほどがある…。(これも2011年)
ってなわけで、南山手の話をつらつら書いてきましたが、まとめましょか。
このエリア、素晴らしい洋館が点在してるので、グラバー園と大浦天主堂だけじゃなく是非付近も歩いてみてくださいね。
おしまい
[訪問日:2019年10月12日]
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