厳密には保存地区の範囲外ではあるんだけど、東西に伸びる商店街にぶったまげるような建物がいくつも残っていた。
まずこれ。元タバコ屋。
これも渋い。
で、一番衝撃を受けたのが「割烹ゑびすや」と書かれているこの木造3階建て。
極めつけがこれ…。昔は食堂だったのかな…?
ここで食事したい。。
高野長英が隠れていた
ここでまた意表を突く歴史上の人物が登場。
蛮社の獄で知られる幕末の蘭学者、高野長英。
実は高野長英もシーボルトの鳴滝塾で医学を学んでおり、二宮敬作とは同門の仲。
脱獄後、二宮敬作を頼り卯之町に来た長英は、彼の住居の裏手にあたるこの場所で身を隠していたそうだ。
前半は保存地区の東半分を歩いたので、今度は西側へ。
1770年に建てられた「末光家住宅」は、蔀や格子が残る卯之町の代表的な建物。
大正初期までは造り酒屋、その後は昭和12年まで醤油の製造・販売を行っていたそうだ。
丸形ポストが実に絵になる。
うだつの上がる建物。
中村旅館さん。
一見して営業してるのかよくわからず。
この先でクランクしてるのは、城下町時代の枡形の名残。
枡形を曲がったところ。卯之町でも1,2を争うフォトジェニックな風景。
左側が中村旅館さん。こっちにも入り口あるけど、うなぎの寝床なのがよくわかる。
枡形を折れた先は、「新地」という町名だったところ。
この先の丁字路までが重伝建の範囲となる。
戻って今度は山側へ向かう路地へ。
ここも風情がすごい…。
山の手には、卯之町の白眉とも言える『開明学校』。
明治15年に建築された擬洋風の小学校校舎である。
現在は国の重文として資料館となっていて、かの松本の「旧開智学校」とは姉妹館として交流しているそうだ。
旧開智学校、前を通ったことはあるけどまだ入ったことないなぁ…
このモダンな開明学校は、文明開化の時代、いち早くそれを教育に取り入れようとした町民の熱意が詰まった建物だとパンフレットには紹介されている。
くそぉ。休館日の3文字が憎い。
開明学校の目の前にある『民具館』は、江戸末期から昭和初期にかけてこの町で使われた民具約6,000点を収蔵展示している資料館。
まぁ、当然こっちも休館日で入れず(涙)
悔し涙をこらえながらふとマンホールに目をやったら、、おぉ、開明学校だ。
江戸時代の地割りと町並みが良好に残る西予市の宇和町卯之町。
宿場町として賑わっていた往時の様子を偲びに、足を運んでみてはいかがだろう。
[訪問日:2019年12月31日]
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