日本地図で愛媛県を見ると、西側が海にみょ~んと突き出ている。
そう・・それはさながらカジキマグロのツノを思わせるようだ。
ツノの付け根・・ちょうど顔の部分に当たるのが『八幡浜』というまちである。
古いまちなみを求め、このマグロの顔面八幡浜を訪れた。
八幡浜は海に面したまちで、九州へフェリーも出る。つまりは要衝だ。
ちなみにカジキのツノは佐田岬半島と言い、うっかり鹿児島の佐多岬と間違えそうなほどソックリである。(佐田岬は「さだみさき」、佐多岬は「さたみさき」)
この佐田岬へも、関アジ・関サバで有名な大分の佐賀関から船便がある。
筆者は昔九州から四国へクルマで渡るときに、旅費をケチるためにこの船に乗ったことがある。
もし当時の自分に旅に使える資金が潤沢にあったのなら、間違いなく別府~八幡浜航路を選択していただろう。
だって別府にいたんだもの。。
八幡浜とは、そんな誰にも共感してもらえないめちゃくちゃ私的な因縁を感じていたまちである。
古くは天然の良港として栄え、海の玄関口であることも手伝い西予地方の中心都市として発展してきた歴史がある八幡浜には、古いまちなみが良好に残っているそうだ。
とは言え、町並みや歴史に興味がある人なんてかなりのマイノリティ。
世間的には、とあるソウルフードで知られている・・そう、八幡浜ちゃんぽんである。
当方、グルメ系ブログではないのでこれ以上掘り下げる気はないが、つまり八幡浜はチャンポン・アンド・ザ・シティ、すなわちCATC。
とりあえず今日はこれだけ覚えたらOKである。
まちを歩こう
くだらない前置きだけで紙面使い切るのかとヒヤヒヤさせるような幕開けとなってしまったが、本題に入ろう。
あまり時間がなかったため、道の駅からスタートして急ぎ足でまちをぶらぶらと歩いた。
初めて歩くまちはいい。
どんな景色が待っているのか、どんな建物に出会えるのかわからないからワクワクする。
角を曲がったらはぐれメタルが現れるかもしれない。
いきなり魔物の群れに襲われて、パーティーが全滅するかもしれない。
冒険の書に何が書かれるかは、十人いれば十通り。だから面白い。
※情緒不安定な人みたいになってますが酒は飲んでません大丈夫です
ところで、一説によれば八幡浜には遊郭、戦後には赤線があったそうだ。
歴史を考えれば、息を吸うかのごとく当たり前のことであろう。
もちろん出かける前に下調べぐらいはしたが、いかんせん綿菓子のようなふわふわした情報しかなくてよくわからなかった。
そんな中、これは赤線時代の名残りか?と思わせるに余りある建物がひとつだけあった。
これである。
脇道の路地もいい塩梅に色っぽくて心拍数が三割増しぐらいになる。
高血圧の人なら注意しなければいけない場面だ。
そして正面は・・もっとすごかった。
昔のトイレの床のごとく容赦なく敷き詰められたタイル・・その扉はパラレルワールドへの入口にしか見えなかった。
こんなゴージャスなタイルをここまでふんだんに壁に設えた建物を見たのはおそらく初めてだ。
さすがに動揺を隠せなかった。八幡浜・・すごいまちだ。
アイデンティティ的なものなので仕方がないが、ツルミと聞くとYOKOHAMAを連想してしまう。
もちろん人によっては「いやいや、OSAKAだろ!」って言うはずである。知らんけど。
なおも付近を闊歩すると、確かに古そうな建物がよく残っている。
で、こちらの「坂本歯科医院」と書かれた建物。どう見ても現役の歯医者ではないが、かつてはこれが妓楼だったとか妓楼じゃなかったとか・・ホンマかいな。
ちなみにこの縦書きの看板は昭和21年に制作されたもので、彫塑家と和尚さんの合作なんだとか。
和尚・・?
その説明が書かれた案内板には『八幡濱まちなみミュージアム』の文字。
これは何かと言うと、公式サイト(?)に説明があった。
海運の町として栄えた八幡浜市内に残る伝統的な建造物を、「町並みミュージアム」として保存。白壁や羽目板を張った壁や妻入りの2階建ての建物が多く、昔の名残を残している。国の登録有形文化財の建物や、海運の町であったことを物語る舟つなぎ石跡など見所満載。昔の懐かしい雰囲気が漂う建物からは、当時の姿を想像することができ、八幡浜の歴史を感じられる。
市としては、古い建物を観光資源として積極的に活用していく姿勢を打ち出しているようだ。
来る前から分かってればな・・完全にリサーチ不足だ。
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