奈良市の木辻町、大和郡山市の東岡町とともに奈良遊郭トリオに数えられていたのが同じく大和郡山の洞泉寺町である。
東岡町から歩いて10分程度と、極めて近い。こんな近い場所に二つも遊郭があったなんて、実はとんでもない歴史を秘めた街なんじゃなかろうか。
郡山新地から東へ歩き出すと、やがて大門湯なるわかりやすい名前の銭湯が現れる。ここを左折して北へ向かう。
洞泉寺遊郭は、東岡町の北東、ちょうど近鉄とJRそれぞれの郡山駅の中間地点あたりに位置する。
全国金魚すくい選手権大会なるイベントが催されるらしい。さすが金魚の街。
全員一心不乱に金魚をすくってる情景を想像したらなんかシュールで笑けてきた。
というか、すくわれる金魚はたまったもんじゃないよな。体がいくつあっても足りません。
ぼちぼち見えてきた。この路地の突き当たり付近がお目当ての場所。
門前町にあった遊郭
1585年(天正13年)、秀吉の異父弟にあたる豊臣秀長が建立したとされる浄土宗の寺院。
洞泉寺町とは、この洞泉寺の門前町にあたる。
その横には源九郎稲荷神社という、日本三大稲荷のひとつに数えられているという地味にすごい神社がある。
神社とお寺の目の前に遊郭とは実にけしからん、と頭の固いおやじにどやされそうな立地なのだ。
神社の目の前に建つ元妓楼。住居兼オフィスなのか、電気工事屋の看板がついていた。
洞泉寺遊郭の起源はイマイチはっきりしないが、江戸時代ということだけは確かである。
仮に明治前後、だとしたら築150年近く経ってる計算になるけど、さすがにそこまでには見えないな。
大がかかりな修繕をしたようにも見えないけど、概ね築100年くらいかなぁ。
戦災に遭わなかった奈良は築年数を予測するのが難しい。
洞泉寺遊郭は、通称『又春廊(ゆうしゅんかく』と呼ばれていたそうである。
全国遊廓案内によると、貸座敷17軒、娼妓150人とある。
どっこいどっこいだけど、東岡遊郭のほうが少しだけ規模がでかい。
二階建てかと思ったら三階建てだった。三階部分も部屋なのかな。
道後温泉本館の振鷺閣みたいだ。
もう一軒、同じような三階建ての元妓楼。
こちらは空き家になっているようで少し荒れ始めていた。
建物がでかい上に路地が狭いので、こういうアングルじゃないと全景が収まらない。
側面を見やると、どこぞの天空の城よろしく植物との『同化』が始まっていた。
ほっといたらいつかお化け屋敷になるんじゃないかと心配。
やーい!お前んちー おっばけやーしきー!って近所の子供たちに言われかねないぞ。
地図で見ると長方形になっている路地が旧遊郭と、極めてわかりやすいのがここの特徴。
そして北西にあたる角に、旧川本邸がある。
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