大洲は江戸初期から廃藩置県までの約250年間、13代に渡って加藤家が治めた6万石の城下町。
昔の石高的にもそうだけど、今の大洲も市街地は結構コンパクトにまとまってて、その上山あり川あり(海にも面してる)で自然も豊かなので比較的住みやすそうな印象。
それでいて『伊予の小京都』と呼ばれるような古い町並みがガッツリ残ってるんだから普通に魅力的なまちだよなぁと思う。
おそらくこれ、市街地が山と川に囲まれてるせいで積極的な開発ができなかったからじゃないかと思うけど。
それでも、高いビルやマンションがないのはすでに市民の間でまちなみを残していこうというコンセンサスが取れているからなのかもしれない。
そう言えば地図を見てて気になったんだけど、市役所なんかの行政施設は城下町エリアにあるのに鉄道駅はちょっと離れたところにあるのね。
よくわからないけど鉄道敷設の際に大人の事情があったんでしょう。
ところどころ、古そうな建物の前に昔の姿と思われる写真があって見てるだけで普通に楽しめる。
本町へ
中町の次は、北側に並行する本町。
こっちも古そうな建物がよく残っている。
これは昭和かな?
元新聞屋さんでしょうか。
すごい看板だ・・これこそ重要文化財にしたほうがいい。
ここまでが本町二丁目。
手元のパンフレットには
明治の風景そのままに、古い看板や昔ながらのお店が立ち並ぶ。
と書いてあるけどまさにそのとおりだった。
突如現れる赤レンガは『おおず赤煉瓦館』。
明治34年12月に大洲商業銀行として建てられたもので、3棟の建物から構成されている。
普段は入館料なしで見学できるらしい。(年末3日間だけお休み)
赤煉瓦館の奥に立っていた古ぼけた看板に「大洲まぼろし商店街1丁目」とか書かれていてすごく気になったのでそっちへ向かってみる。
ポコペン横丁
何ということでしょう!
何がポコペンだよ・・
とか思ってたら昭和30年代の商店街がそこにはありました( ゚д゚)
豊後高田の昭和の町を小さくしたような感じの場所で、毎週日曜(冬場は第3日曜)に開かれるそうな。
雰囲気的には縁日や夏祭りみたいな感じっぽい。
週一回、昭和30年代を再現した広場でみんなで楽しく和気あいあいとした時間を過ごすことができる・・いいなぁ、大洲の人たちがちょっと羨ましい。
ポコペン横丁の奥には昭和グッズがたくさん展示されてる『思ひ出倉庫』という博物館もあるので日曜を狙って足を運んでみるといいかもしれない。
どうでもいいけど、ポコペンってなんでポコペンって言うんでしょうね。
あと、この呼び方って全国共通なんですかね。少なくとも筆者が小学生の頃は複数の地域でポコペンだったのでたぶん共通なんじゃないかな…、とは思ってるんだけど。
最後に大洲城を見に行ってまち歩きを締めることに。
オリジナルは明治時代に棄却されてるんだけど、平成16(2004)年に復元。
しれっと光源が見えてる通り、夜間は通年でライトアップされます。
臥龍山荘や赤煉瓦館に入ってないのに、トータルで2時間近くほぼ歩きずくめの大洲散策だった。
城も鵜飼も思ひ出倉庫も何も見れなかったし食事もしてないので、今度南予地方に行くことがあれば大洲に泊まるプランを検討したい。
もちろん宿は・・あそこしかないですよね。
[訪問日:2019年12月31日]
コメント
思ひ出倉庫,想像より充実していて良かったですよ。訪れる人が多くないせいか,ポコペン横丁の広場はあまり活用できていないようで残念です。
ホントですか。単体で記事書けそうな気がするので今度愛媛方面に用があれば行ってみます。(たぶん当分ないw)