近年島旅がマイブームである。
数えてみたら、昨年はコロナ禍にも関わらずなんだかんだ14の島に行ったらしい。(旅そのものを半年ぐらい自粛してたから結構なペースだと思う)
うさぎ島に続く2つ目の離島が、皆さんもよくご存知の香川の「直島」である。
玉野の道の駅で朝を迎えた。
7泊8日に及んだ長旅もとうとう最終日である。
AM8時。
宇高航路廃止直後の宇野港。ターミナルはどこかまだ寂しさの余韻を忘れられないように映った。
人もまばらな直島行きのフェリーに乗り込み、こうして最後の日が幕を開けた。
瀬戸大橋を遠目に眺めながらの航海は終始穏やかだった。
船は20分で直島、宮浦港に到着した。
直島が有名になったのは、この草間彌生氏が手がけた「赤かぼちゃ」の存在抜きには語れないだろう。
海と空。究極的な自然をバックに、対極とも言える毒々しい赤い人工物。
この場所にこんなものがあるはずがない。そういう類の違和感に鎧われたその物体は、突堤の先で突き抜けた存在感を放っていた。
直島がなぜアートの島になったのか。ご存知だろうか。
- 直島に、子どもたちが楽しめるキャンプ場を。
福武書店(現ベネッセ)の創業者福武哲彦が描いた構想を、亡き父の後を受け継いだ息子の福武總一郎が具現化。(※現在のベネッセハウスの場所が元キャンプ場)
後年、瀬戸内の魅力を都市部に発信すべく、また、島の住民が訪れた人々と交流することで元気になってほしいとの願いを実現するために、その媒介として現代アートを島に持ち込むことを考えた。
その帰結が今の直島の姿であり、町おこしの分野では比類なき成功例として注目と観光客を集め続けている。
ちなみに、島の人口3000人に対して観光客は年間40~50万人。インバウンドがかなりの数を占めている。(なのでコロナ禍で激減したそうです…)
そして、そのほぼ全員がアート目的なことは間違いないだろう。
前置きが長くなったが、筆者はそんな直島に違う目的で上陸した。
島の集落、町並みを眺めるためである。
宮ノ浦地区
直島には、大ざっぱに言えば島の東西に集落がある。
西側がフェリーターミナルのある宮ノ浦地区。
まずはここから始めよう。
直島のアート施設の中でもかなりの有名物件と思われる直島銭湯「I♥︎湯」はデザイナー大竹伸朗氏が2009年に手がけた作品。
外観の時点でかなりぶっとんでいる。
もちろん実際に入浴できる現役銭湯。営業時間は13時~21時なのでこの時間を狙って島を訪れよう。
(´-`).。oO(まるでハウルの動く城だな…)
銭湯以外は、古きよき漁村風景とも言うべき路地裏と家並みが続く。
直島は農業には適さず、古来から漁業や海運、製塩などで生計を立てる島だったそうだ。
そんなただの漁村だった島に転機が訪れたのが大正時代。
三菱マテリアルの精錬所を誘致し、企業城下町としての発展が始まることになる。
公害に悩まされたり色々な変遷がありながらも、おかげで瀬戸内の島の中では財政基盤がしっかりしており、それはこれまで一度も市町村合併をしていないことからもわかる。
直島は「直島町」なのである。
そして昭和の終わりにベネッセの構想で観光の島へ。
その後の経緯は皆が知るところである。
しかし思った通りだった。
歴史のある離島は、木造住宅が密集した漁村的性格を少なからずとどめているものである。
宮ノ浦の路地裏風景はまさにそんな感じだった。
行く前はアートのイメージが強すぎて 島中かぼちゃだらけ 古い町並みは残ってないかも…とちょっと危惧していたが、どうやらそれは杞憂であったようだ。
しかしまぁ、そもそも朝早くて観光客が少なかったせいもあるかもしれないが、町並みを見に来てる人には一人も会わなかった。
かぼちゃや安藤忠雄もいいけど、直島に来たら是非路地裏を!
とこれからは積極的に推して行きたい。
100人いたら一人ぐらいは響くかもしれない。
いや、ちょっと上方修正。
5人ぐらいは響くだろう。
だってこんなに素晴らしいんだもの。
かぼちゃ…明らかに浮きまくってるのがこの距離感でもわかる。
さて、地中美術館やベネッセハウスは島の南側にあるが、はなから予定していなかったので東側にある「本村(ほんむら)地区」へ向かうことにする。
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