阪神尼崎のアーケード群は、今は駅前から伸びる中央商店街がメインストリートとなっているが、かつては「三和本通」「新三和商店街」、そして最も古い「三和市場」がその中心だった。
最後に、三和市場をじっくりと観察することにしよう。
北側の入口は「三和栄筋」という短いアーケードに面している。
戦前の公設市場「三和市場」
三和市場の入口へやって来ると、明らかに纏う空気の質が変化した。
のこのこと物見遊山で来ることが許されるような雰囲気ではなくなってきた。
(ゴクリ…)
何ということだ…
そこは老舗と常連のためだけに存在するかのような不思議な空気感に包まれていた。
近場なのに完全にビジターの気分だった。
戦前から続く公設市場。
“始まりの場所”とも言えるその市場は、自らの引き際を足掻きながら模索しているように見えた。
忖度抜きに、もう先は長くないのかもしれない。
サンロードがただのシャッター街なら、三和市場は“ひん死のシャッター街”だった。
誰もいない
20年、いや、30年だろうか。
時計の針を進めるのを放棄してしまった空間だけがそこにあった。
自分の幼少期の、その少し前の時代を見ているような錯覚に陥った。
生まれてないはずなのに、なぜ自分はここにいるのだろうか。
この市場の成立を知る人は、現世にはもう一人もいないだろう。
友達も皆死んでしまった。身体はあちこちガタが来てる。
孤独な老後を生きる高齢者なら、この市場の気持ちが少しは理解できるのかもしれない。
この街が成長するのを長年表立って支えてきた市場は、完全にその役目を終えて久しかった。
もう疲れたと言わんばかりに、どの店も固くシャッターを閉ざしていた。
そのシャッターの先に光が射し込む日が来るとすれば、おそらくそれは解体されるときであろう。
南側入口付近。
3つの入口からそれぞれダンジョンに進んでみればわかるが、三和市場だけ断トツで古い。
それはもう比較にすらならないレベルである。
この古さのアーケードがこの規模で広がるというのは関西でもトップクラスだろうと思う。
尼崎は名実ともにレトロ市場の宝庫である。
近年、残念ながら姿を消してしまったところもいくつかあるが、まだまだ歩いていないところが多い。
という訳で、すでに続編が決定している。
乞うご期待
[訪問日:2020年7月23日]
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