戦後、吾妻遊郭が移転する形で誕生した東田園。現在の住所は「豊橋市東田仲の町」にあたるが、引き続きこの東田園の町並みを見て行きたい。
見事な遺構たち
後で紹介する旅館「新井吹」さんの正面。既に廃業してしまったようで、少し荒れ始めている。
だがそんな事実もこの芸術性に富んだ鬼瓦を見たらすべてが吹き飛ぶ。
この鳥は何でしょうね。鷹か鷲かな。
【2019年2月追記】
新井吹さんも取り壊され、無情にも更地になっていました。本当に残念でありません。
その斜向かいには、前面がガラス張りの遺構。
コレ見たらたてもの園の高橋是清邸を思い出した。なんとなく似てる。
鬼瓦には三菱マーク。いや、でもこれじゃ逆さまだ(笑)
家紋か何かでしょうか。
【2019年2月追記】
悲報が続きます。こちらの遺構も取り壊され、更地になっていました。本当に残念でありません。
サクサク行きましょう。
松の形がくり抜かれた塀。そして実際に見越しの松が植わってる光景。
松の木の生長スピードを考えると、現役時代からあるとしたら当時はまだミニサイズの若木だったのでしょう。
松は縁起ものですからね。商売繁盛を願って植えられたのだとしたら・・儚い限りである。
こちらはずいぶんと落ち着いた配色。
窓手すりと塀の風合いが往時の名残を示している。
その先には、丸窓を持つ元旅館。「玉川園」と書いてあったけど当時の屋号だろうか。
ここはもう商いを終えてしまっているようであった。
【2019年2月追記】
玉川園も取り壊され、更地になっていました。痛恨の極みです。
左右それぞれ100mずつくらいなので散策も楽である。
U字型の一番下まで来ると、結界の先にはスナックが二軒。場所柄、ここが嫖客で賑わっていた頃からあったと考えるのが妥当であろう。
U字型と言えども実は中央にも路地があって、実際のところカタカナの「ヨ」の字を90度回転したような区画になっている。
そして真ん中の路地はそのまま公園まで続いている。歩いてみるとなかなか面白い形をしていることがわかる。
次頁では真ん中と西側の路地を一気に見て行きたい。
(3ページ目へ続く)
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