豊橋市『東田園』跡を訪ねて

愛知県
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戦後誕生し、わずか5~6年ほどの短い期間存在した豊橋の『東田園』。
一周しても5分とかからない狭いエリアに、今なお「異界」が現存している。その東田園散策も、今回をもって最終回となる。

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前頁で廃業した旅館と称した新井吹さん。
一応こっちが裏口の筈なんだけど、こうして見るとこっちが正面に見えなくもない。

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側面に回ると、ご丁寧に「しんいぶき」と書いてあった。こっちが公園側。
こうして見ると結構な大店だったようだ。

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西側の路地には転業旅館が残る

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最後に西側の路地を見ていくことにする。こっちには旅館として現在も営まれている遺構が存在する。
しかし不思議に思ったのが、戦後に誕生したのに建物が戦前の遊郭みたいだということ。
公許とは言え、ちょっと不思議な感じがする。

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一軒目が旅館新宝光さん。ネット上にはこちらに泊まった方のレポートがあるので、興味のある方は検索エンジンで「新宝光 泊まる」と入力すると幸せになれると思う。

※後年、縁あって新宝光さんの内部を見学することができました

Let's 登楼!豊橋『東田園』の元旅館、新宝光さん見学会
- 人との繋がりは財産だ -自分が年を重ねたせいか、最近“人脈を大事にする”ことの本当の意味がわかっ...

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鬼瓦をとっくりと観察すると、そのディテールの精巧さに唸ってしまう。
文字通りの職人芸である。

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どうやら棟続きなのか、右隣も「新宝光」さん。こっちはちょっとファサードが洋風。
筆者も機会があれば是非泊まってみたいと思っている。その機会がなかなかなかったりするのだが・・。

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そのお隣が「旅館金海」さん。
こちらは探したけど泊まった方のレポートは発見できず。

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窓手すりには、「きんかい」と刻まれた透かし彫りが残る。
当時の名は「金海楼」だろうか?

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金海さんの隣も元妓楼っぽい佇まい。
外装はキレイになれども、間口の広さと玄関まわりの雰囲気は往時のまま。

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新宝光さんの対面にあるこちらの建物は、唯一カフェー調の代名詞とも言える豆タイルがあしらわれていた。

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先述したとおり、戦前と戦後が同居する遺構は全国的にもかなり珍しい。
ずいぶん貴重なものにお目にかかることができた。

それにしても、よく残っているなぁというのが率直な感想だった。
幸先のいいスタートを切った愛知シリーズ。ここから西を目指し、この後は一気に名古屋を攻めることになる。

ちなみに豊橋市内には、もうひとつ遊郭跡がある。
こちらも機会があればいつか訪問したい。

[訪問日:2014年8月23日]


コメント

  1. 通りすがり より:

    遊郭の概念を知らなかった子どものころ、吾妻遊郭、東田園の近くに住んでいたので懐かしく記事を拝見させていただきました。
    四角い道路なんなんだろうと思っていました。

    ここで一部訂正させてください。
    記事では東田園は「昭和27年(1952年)から6年で終焉」とのことですが
    実際には1980年頃まで、東南の角に1軒の「トルコ風呂」が間違いなく残っていました。

    それ以降、東田園付近に立ち寄らなくなったのでいつまで続いたのかは不明です。

    • machii.narufumi より:

      貴重なコメントありがとうございます。
      懐かしんで頂けてよかったです。

      しかし東田園にトルコがあったというのは初耳でした。
      終焉と書いたのは、かの防止法によって赤線が廃止されたことに起因しています。
      現在、昔で言うトルコの営業区域となっている場所でも元赤線だったところが割とあって、大抵遊郭→赤線→◯◯浴場街の流れを辿っていたりします。

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