風待ち島で風を待つ。日生諸島の「大多府島」へ行ってきた

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視点が変われば景色の見え方も変わってくる。
島旅をするようになれば島に興味が出てくるし、島に興味が出てくればどんな島でも行ってみたくなるのが人情というもの。

「次はあそこだな…」と狙いを定めていたのが兵庫西部と岡山東部にまたがる日生諸島(ひなせしょとう)である。

日生港から南へ6km。14の島々で構成される日生諸島の最南端に位置する「大多府島(おおたぶじま)」を訪問した。

日生港は、小豆島行きの便が出る駅前にある中日生港と、そこから西へ1km離れた日生諸島行きの船便が出る日生港と二箇所ある。
不都合な真実に気づいたのは、大多府島行きの船がここにないことを知って慄然とした出港5分前の中日生港だった。

ジーザス!

 

あかん・・さすがにこれはミッションインポッシブルだ

 

無情にも天を仰いだが、人生でワースト3には入る乱暴な運転と脱兎のごとき猛然なダッシュで、なんとか間一髪滑り込むことに成功した。
ホント朝からこういうの辞めてほしい。。

(昔大崎下島で似たようなことあったな)

高速おちょろ舟で行こう!木江港日帰りぶらり旅
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冬の瀬戸内は凪いでいた。
日生港から30分、海風を十分体内に取り込んだ頃に大多府島に漂着した。

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About 大多府 island

簡単に大多府島の概要を。

周囲5kmの小さな島で、大多府村、日生町を経て現在は備前市に編入されている。
人口はやや判然としないが、各種データを参照するに現時点で100人は切っているのではないかと言った規模感である。

開発されたのは江戸時代、元禄年間のことで西国の大名たちが参勤交代をする際の風待ち港として岡山藩が在番所を置いた。
同時に町人用の長屋を建て、移住を奨励したことで人が住み始め、その後長きに渡って海路の要衝として発展したそうだ。

そんなわけで、早速散策へと洒落込むことにしよう。
船便の都合上、滞在時間は約3時間と決まった。それだけあれば充分だろう。

ふれあいの館かぜまち(宿泊施設ですが閉館したそうです…)

大多府港は島の北東に位置している。
集落は港の周辺にあり、一本の道路が島の中央を東西に貫いている。そして、島を一周する散策路。

本当に小さくて分かりやすい島である。

日生諸島の海域は牡蠣の養殖が盛ん。
牡蠣の赤ちゃんは生後2週間ほどで岩などに付着する性質があり、養殖ではそれを利用して帆立貝の貝殻を使用する。
こんな感じで貝殻が積んであったらそこで牡蠣の養殖が行われている証拠。

↓牡蠣を食べに「室津」に行った話

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すなわち主産業は漁業ということになるのだろう。
観光に力を入れているようにはお世辞にも見えないし、実際のところ観光客に刺さるような目玉スポットがあるわけでもなさそうだ。

しかしながら、筆者のような古い町並みや集落、建物が好きな層には楽しめる要素が満載である。
これなんてまさしくど真ん中のキラーコンテンツではないか。ワクワクしてくる。

離島の必須アイテム、手押し車。
呼び方は地方や島々で異なるのが面白いところ。

メインストリートに出た。右奥に行けば島の東部、背中方向が島の西部。

どうせ両方行くんだし、ととりあえず西側から行ってみることにした。

蜜柑の木と廃屋のマリアージュ

坂を上って行くと「慈雲寺」なる寺院があった。

どんつきの手前に、海へと下りてゆく坂道が続いていた。
直感的に思った。

この先には何かある。

そこは、かつての賑わいを手放した海水浴場だった。
なんだかよくわからない鉄骨が打ち捨てられているさまは、どこかこの島の現在地を露呈しているようでもあった。

飲食店やシャワー室を備えた、海の家のような施設もあったようだ。

もと来た道を戻り、今度は島の東側へ行ってみる。

はるか向こうには小豆島が見える。

(2ページ目へ続く)

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