名古屋色街カルテットその3『城東園』

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一泊二日の超弾丸ツアー、名古屋夏の陣@2014。
何もこんなクソ暑い時期に体力の限界に挑戦するようなことやらんでもえーやん、となかば自虐的になるほど、さすがにそろそろ疲れの色が見え始めてきた。

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微かに残る遺構たち

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中央通りに出ると、そこには妙に不自然なとんかつ屋が。
外観もそうだけど、入口がふたつあるし・・

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何よりこのモザイクタイル・・
おいおい、肉は肉でも違う肉を売ってたんじゃないのとキレッキレのツッコミを入れたくなってくる。

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そしてその右隣にも、というか棟続き?
ツッコまれるためにそこに建っているとしか思えないけったいなカフェー建築が。

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かつてワクテカしながらこのドアをくぐった好色漢たちは一体どれぐらいいたんだろうか。
いや、そんなこと考えるだけ野暮ってもんか。

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肉屋(笑)の斜め向かいには、あたかもそこだけ色彩の一部をスクレーパーで削り取られたかのようなパステルカラーの遺構。
その名から想起されるのは映画館。が、そこで行われていたことは作り話なんかではなく、リアルでディープなヒューマンドラマだったに違いない。

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そしてその“大人の映画館”のすぐそばには、現在もなおその系譜を継いだ特殊なお風呂屋さんが一軒だけ存在していた。
そう、こんな場違いな住宅街にぽつんと。

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中央通りの見所はこんなところである。最後に東側の通りを見て行くことにする。

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そう言えば今さら思い出したけど、あの不親切極まりない『全国女性街ガイド』にこう書いてあった。
「百五十六軒、三百六十名」
平均すると一軒につき二人くらいだから規模は小さいにしても、冷静に考えてみたら百五十六軒って相当な数だよな。

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比較的よく残ってるなぁとか思いながら歩いてたわけだけど、そもそもが多かったんだからそれもそのはずである。
そりゃ、こんな立派な転業旅館の一軒や二軒残ってても不思議じゃないわけだよ。

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「千尋」という名の旅館であると看板は示していたが、今でも泊まれるのかは見ての通りちょっと微妙な雰囲気である。
転業旅館の宿命として、駅から離れた住宅街で孤軍奮闘しなければならないケースが多く、筆者のような一部のレア(アレw)な好事家くらいにしか需要がないという死ぬほど高いハードルを負うことはもはや不可避であり、実に気の毒としか言いようがない。

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そして先の旅館の目の前には、前面が石造りのバーの残滓。
目線を入口上部にフォーカスすると、年齢制限を示す掲示と妖艶な色彩を放つ照明器具。

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規則的に配置された軒灯。これらがすべて点灯した往時の情景を想像してみる。
白熱球が放つ暖色系の灯りに照らされた建物。そして窓に映る女給さんの影。
いやはや、なかなかどうして風雅なもんだ。

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これもバーっぽいけど比較的最近のものかと。
筆記体で書かれた「Rainbow」がやけに簡素である。
そういや筆記体って中学時代に頑張って覚えたけど、もう何年も書いてないなぁ。

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南北の通りから少し東へ逸れたところに残っていた転業旅館然とした遺構。
「米喜」(「喜米」か?)と書かれていた。

※米喜さんは、2019年になってそうそうに解体されました。長い間お疲れさまでした。

謎の多い遊里、『城東園』。
謎を解く鍵を求めてかつての結界の内部を彷徨えど、そこにはどこにでもある色街の残滓がもうあまり長くない余生をひっそりと送る、言わば“平常運転”の町並みが筆者を迎え撃ってくれた。

これと言ったインパクトがあったわけでもなく、一年が経とうとしている今では記憶から呼び覚ます作業に少しく困難を来したことを打ち明け、本稿の結びとしたい。

【訪問日:2014年8月24日】

コメント

  1. 名古屋っ子 より:

    戦前の名古屋について詳しく書かれている百萬名古屋という本に詳しく名古屋の色街事情が書かれているのを見たことがあります。

    • mast-mo より:

      >名古屋っ子さん
      貴重な情報ありがとうございます!調べてみたら、幻の名書で、超限定で復刻されたとありますね。機会があれば是非お目にかかってみたいものです。

  2. 元地元民 より:

    高校へ通うのに毎日通ってたので古い建物はこんなもんだと思ってましたが遺構だらけだったんですね。

    母にいくつかの建物について女郎屋だったと聞いた事がありましたが、そんな多いとは思ってもみませんでした。

    1989頃だったと記憶してますが、0時頃に杉栄町で『お兄ちゃん遊んでかない?』と声をかけられた事がありました。
    どう見ても祖母と同世代のお婆ちゃんだったので逃げてきましたが、最期の残灯だったのかもしれませんね。

    • mast-mo より:

      なかなか興味深いお話をありがとうございます。
      平成に入るあたりまで続いていたというのは驚きですね。
      仰る通りその頃が末期だったのだろうと思います。

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