長い期間鉱山で繁栄した生野。
当然そこには鉱山町が形成され、鉱夫たちの暮らしとともにまちは発展した。
古い町並みは、生野駅の北東、「口銀谷」界隈で見ることができる。
おそらく最も有名なのがこちらの旧生野警察署だろう。
明治19(1886)年、フランス人技師の洋館を模倣して建設された擬洋風建築である。
名残として、軒瓦の下に警察の紋章が残っている。
この建物、今は公民館として利用されているそうだ。
続いて、口銀谷交差点の南方へ。
街道筋だったのかな?と思えるような古い町家が点在する通りである。
口銀谷を歩いたのは実は2020年9月のことで、湯村温泉に行ったときの帰りにふらっと立ち寄った。
で、生野の話は生野銀山に行ってから書こうと決めてたんだけど、次に行ったときは緊急事態宣言でまさかの休業。。
で、やっと今年2月に行けたというわけ。
旧松一醤油店の邸宅として建てられた松本邸(登録有形文化財)。
右側が明治後期、左側(この写真)が大正の建築。
トロッコ道
大正9(1920)年、金香瀬坑道(現在の観光坑道)から旧生野駅までの市川沿いに、鉱石を運ぶための軌道が建設された。
昭和30年に、積み出し港である飾磨港(姫路)へのトラック輸送が始まり役目を終えたと書いてあった。
明治20年頃建てられた「旧海崎医院」。(国登録有形文化財)
藤田邸(明治後期)
出格子が特徴的。
古い町家が結構残ってますなぁ。
続いて、市川の北側の通りへ。(ちょうどここで川が90度蛇行している)
この通りの白眉とも言えるのがこちらの「生野まちづくり工房井筒屋」。
江戸時代、生野では旅人の宿泊が禁止されており、公事人向けの宿(郷宿)が6軒あったそうな。
井筒屋はそのうちの1軒で、母屋の建築は天保3(1832)年。
現在はカフェを併設したまちづくりの拠点となっている模様。
なお、登録有形文化財であり近代化産業遺産でもある。
この付近、「下小路通り」「宮町通り」と言う二本の路地が並行してるんだけど、生野の町並みではここが最も見応えがあると思う。
これも江戸か明治ぐらいでしょうか。
高さ3mぐらいの謎の塔。
会所(かいしょ)と言う、山から引いた水を圧力調整しながら周囲の家庭に分配する装置だそうな。
鏝絵が目を引く建物も。
消火栓も絵になる。
最後に国道沿いも少し歩いてみた。
江戸時代に郷宿と掛屋を兼務した佐藤家住宅。
旧生野鉱山官舎。
こちらは官営だった生野銀山ならではの産業遺産で、なんと無料で一般公開されている。
という訳で、最後にココを紹介したいと思う。
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コメント
これはなんぞ?は、洗濯機ではないでしょうか。後ろにあるミツワ石鹸は洗剤かな?ここから話は逸れますが・・・ミツワ石鹸のテレビコマーシャルで(私は観てない世代)♪輪、輪、輪〜輪が3つという歌詞があるそうですが、私は今まで「星降る街角」のカド、カド、カドとか輪が3つの掛け声は、ミツワ石鹸のコマーシャルから来ていると思っていた。下ネタだったんですね。知らなかったです。四角い方の洗濯機は、絞り器はついてないのかな?ハンドルが見当たりませんが。
これが洗濯機ですか・・?
最初綿菓子機かと思ったんですが、この時代にあるわけないよな、と(笑)
http://edu-kakamigahara.com 洗濯機の歴史