再び時系列が今年に戻り・・
生野の町並みを歩いたときは既に閉館していたので、生野銀山へ行ったあとに立ち寄った「旧生野鉱山職員宿舎」。
開館時間は9時~17時(入館は16時半まで)なので注意されたし。
旧生野鉱山職員宿舎は職員の社宅で、官営だった生野では官舎にあたる。
現存するのは「甲社宅」と呼ばれるもので、ピーク時は18棟あったそうだ。
なお、「甲」は甲乙丙の「甲」で、甲社宅は幹部向け。
当時の感覚で言うと豪邸にあたるのだろう。
生野には全部で700戸以上の社宅があったというから、従業員の数は推して知るべしと言ったところである。
志村喬記念館(甲7号)
ここには明治時代に建設された甲7・8・9・19・20号の建物があり、7~19号は近年修復され一般公開されるに至った。
甲8号が明治、7号が大正、9号が昭和初期を想定して復元されたそうだ。
このうち甲7号は昭和の名優「志村喬」の記念館となっている。(内部は撮影禁止なので玄関だけ)
と言うのも、志村喬は生野出身で、甲7号の裏手にかつてあった甲11号が生家なのだ。
志村喬と言えば黒澤映画には欠かせない俳優で、代表作は『七人の侍』『生きる』など。
中の展示物がお見せできないのが本当に残念。
甲8号棟。
甲9号棟。
昨夏から、こちらと甲19号が「生野ステイ」と言うゲストハウスになっている模様。
この日普通に見学できたけど、宿泊者がいなかったからなんだろうか。。?
それともコロナで休業中とか?
昭和初期をイメージして復元された甲9号。
家電が新しいのを見なかったことにすれば、まぁ確かに昭和テイストよねって感じ。
福助ミシン。
これは何ぞ。。?
このときはまったくもってゲストハウスって認識がなかったんだけど、今こうして改めて写真見返してみると「めっちゃ泊まりたい・・」「今すぐ泊まりに行きたい・・」の感想しか出てこない。
炭酸煎餅がなぜか宝塚名産になっている謎。
と思いきや、宝塚温泉の銘菓でもあったのね・・知らなかった。
有馬だけかと思ってた。
テープレコーダーと8mmカメラ。
甲19号棟
7~9は明治9年に建てられたものだけど、19号だけは明治29(1896)年と少し遅い。
と言うのも、三菱合資会社に払い下げられてから建てられた、いわゆる“三菱の社宅”だから。
他の3棟とは内部の雰囲気が若干違うのはそのせいだろうけど、ガラス張りの縁側が最高すぎてホント住めるなら住みたいってレベルで居心地がよかった。
このとき、やっぱり休業中だったのかな。
ちなみに、宿泊希望者はエアビーで予約可能なようです。
玄関はこんな感じ。
この先、行き止まりかと思いきやぬけられるようだ。
裏手には広場があって、ここが先述した志村喬の生家跡。
って言うか、先に出すべきだったね、これ(笑)
こういう位置関係です。
受付・休憩所(甲20号)
最後に、一番手前にある休憩所へ。
ここには、鉱山の福利厚生施設「協和会館」で使われていた映写機が展示してある。
マニアにはたまらないんだろうなぁ。
毎年3月に、この地域で「銀谷(かなや)のひな祭り」と言うイベントが開催されるそうで立派な雛飾りがお目見え。
色々話を聞かせてもらった受付のおっちゃんにお礼を告げ、生野のまちを後にした。
[訪問日:2020年9月12日、2022年2月27日]
コメント
これはなんぞ?は、洗濯機ではないでしょうか。後ろにあるミツワ石鹸は洗剤かな?ここから話は逸れますが・・・ミツワ石鹸のテレビコマーシャルで(私は観てない世代)♪輪、輪、輪〜輪が3つという歌詞があるそうですが、私は今まで「星降る街角」のカド、カド、カドとか輪が3つの掛け声は、ミツワ石鹸のコマーシャルから来ていると思っていた。下ネタだったんですね。知らなかったです。四角い方の洗濯機は、絞り器はついてないのかな?ハンドルが見当たりませんが。
これが洗濯機ですか・・?
最初綿菓子機かと思ったんですが、この時代にあるわけないよな、と(笑)
http://edu-kakamigahara.com 洗濯機の歴史