富山市西部の越中八尾(旧八尾町)は「おわら風の盆」で知られるまち。
お祭りのみならず、街道筋に位置する為江戸時代からの文化や町並みが残っているまちでもある。
この越中八尾を歩いたというのが今日の話。
東岩瀬から真っ直ぐ南へ25km。
これ以上行けば山という、富山平野の最南端に八尾はあった。
なお、読み方は「やお」ではなく「やつお」である。
観光の拠点となる越中八尾観光会館(曳山展示館)。
マップももらえるのでここをスタート地点にするのがよいと思う。
まぁ、見ての通りだけどこの期に及んで雨はアホみたいに降り続いていた。
ここまで天に見放された遠征は本気で記憶にないんだが。。
憂いたところで雨が止むわけじゃないので開き直って行きましょう。
何やら「日本の道百選」に選ばれてる通りがあるというのでひとまずそこへ向かうことに。
今歩いてるのは「柳清水」なる通り。なかなか風情があってよかった。
右に見える煙突は味噌や醤油をつくる平野醸造元。
少しだけ国道472号線を歩く。ここは「上新町通り」と言うようだ。
日本の道百選の碑からはじまる「諏訪町通り」は、昭和61年に選定。
その後、無電柱化や石畳化を経て今はこんな通りになっている。
諏訪町通り
わお。趣きありますなぁ(*´∇`*)
よくドラマの撮影なんかも行われるそうで。至極納得。
ところで、ここがどういう通りかと言う話は、八尾の歴史について触れるのが先になろうかと思う。
鎌倉時代に聞名寺(もんみょうじ)の門前町として発展した越中八尾。
江戸時代には飛騨往還の物資の中継地として栄え、旅籠や酒蔵が軒を並べ富山藩の「御納戸」と呼ばれるほどの繁栄を見せることに。
あえてカテゴライズするのであれば「宿場町」であり「商家町」であった、ということになろうか。
飛騨往還というのは今の国道472号のことであろう。
ここは今でも確かに商店が多い。
対して、一本山側の諏訪町通りは“職人町”だったそうだ。
現在、通りに立つのは格子戸と白壁で統一された小綺麗な町家群。
道路もろとも修景されて観光向けの町並みになっているが、これはこれで全然アリだと思う。
緩やかな坂になっていることで風情も三割増し。
違うな、天気で相殺されて差し引きゼロだわ。。
おおぉ。なんと素敵な美容室・・
気づけばこの通りだけで50枚近く写真を撮っていた。
傘を持ちながら、レンズに水滴を付けないように注意しないといけないようなハードモードでもつい夢中になって我を忘れちゃうんだよな。
千本格子に袖壁の出桁造り。
全体的に中二階より本二階のほうが多かった気がする。
背が高い分、間口が狭い家なんて古い町並み界隈ではほとんどペンシルハウスも同然というひょろ長さで結構新鮮だった。
諏訪町通りの長さは500m。
結構長いけど、端から端まで歩き通すことをオススメしつつ。さて、じゃあ次行きましょうか。
越中八尾は「坂のまち八尾」なんて呼ばれることもあって、そもそもなんで坂が多いのかというとですね、ここが井田川の河岸段丘上のまちだから。
川の南側にまちが開けてるんだけど、つまるところ南に行けば行くほど高くなっていくという寸法。
で、河岸段丘であることがひと目で理解できる八尾を代表する風景が、コチラ・・
禅寺の坂
越中八尾は、井田川の河岸段丘に石垣を積み、そこにまちをつくった。
それが手にとるようにわかる、「禅寺の坂」と呼ばれる遊歩道から撮った一枚がコチラ。
いやぁ、圧巻ですわホント。
遊歩道には展望台も設置されているという親切設計。
“映え”を狙いたい人は必見。ここは絶対に立ち寄ろう。
さて、実はこの遊歩道にはもうひとつ重要な役目があった。
この道を西へ行った「鏡町」が明治33(1900)年に遊郭の免許地となった際、人目の少ないこの裏道が“遊郭への忍び道”となったとか。
そう、越中八尾には遊郭があったのである。
(2ページ目へ続く)
コメント