ようこそ北陸へ。旅人の拠り所として栄えた玄関口の宿場、北国街道「今庄宿」

福井県
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これを書いてる2023年3月現在、最も新しい重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)は2021年8月に新たに選定された三件。
そのうちのひとつが福井県南越前町にある「今庄宿」である。

※なお2022年は1992年以来、30年ぶりに選定が一件もない空白の年だった

はや一年半が経ってしまったが、筆者は重伝建選定直後にこの今庄宿を訪ねた。

同じく南越前町の河野からクルマでおよそ30分。
今庄宿は北陸本線「今庄駅」の西側を南北に伸びる、旧北国街道沿いに展開している。

ちなみに、重伝建の種別はそのまんま「宿場町」。

駅前の駐車場に車を滑り込ませ、ひとまず宿場の南側から歩いてみようとそちらへ向かう。
不意に現れる巨大な酒蔵は、元禄10(1697)年創業の今庄を代表する「白駒酒造」である。

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全長1kmの宿場町

今庄宿の南端に到着。
左手に伸びるのが北国街道で、これは言わずもがな先が見通せないようにわざと道を屈折させた名残で今庄ではこれを「矩折(かねおり)」と呼ぶ。

天保6(1835)年創業の畠山酒造。往時の屋号を「玉や」と言った。

良質な水と米に恵まれ、冬の寒さが厳しい今庄は酒造りに適した土地で江戸時代にはなんと15軒もの造り酒屋が存在した。
今も1kmの街道沿いに、現在まで続く4軒の酒蔵が営業している。

で、ちょうど最近の話なんだけど、今年の1月に今庄で酒の仕込みを手伝う“蔵人体験”ができるイベントが開催されると聞き及び、秒で「行きたい!いや絶対行く!」ってなったんだけどタッチの差でスケジュールに先約が入ってて泣く泣く諦めたということがありまして…。

いわゆる関係人口の創出ってヤツですよね。やった!酒好きの知り合いができるかも!って思ったんだけどね、、来年またやってくれないかな。。

江戸時代は旅籠だった高野由平商店。
看板商品の「甘露梅肉」は当時若狭梅を宿泊客に振る舞ったのが発祥だとか。

ところで、「北陸の玄関口」と呼ばれる今庄は地理的にやや特殊な背景を持つ宿場だった。

南側には山々が連なり、「山中峠」「木ノ芽峠」「栃ノ木峠」と三本の峠越えルートの起点となっていたのである。
北陸随一の難所を背にした今庄は、京や江戸から来た場合には無事に峠を越えた旅人の休息地として、また、福井から来た場合は約30kmとちょうど当時の1日分の距離にあったことから、翌日の峠越えに備えての宿泊地として。

立地的に自然と人が集まりやすかったため、今庄は越前屈指の宿場町として繁栄したのだ。

なんせ幕末の記録で旅籠55軒、茶屋15軒、酒屋15軒あったと言うからそれだけでもかなりの規模だったことが窺える。

白駒酒造(正面)。

問屋場跡。

問屋場とは、人馬・書状・品物を次の宿場へ届けるための業務を行っていた場所のこと。
現代の宅急便だと思ってもらえれば概ね相違はないと思う。

今庄には本陣、脇本陣の周辺に問屋場が三ヶ所あったそうだ。

今庄の町家は平入りで袖壁付きのものが多い。(まれに卯建が上がっている)
あとは、豪雪に耐えられるよう梁が太い。

三軒目の造り酒屋は享保元(1716)年創業の「北善商店」。

そう言えばこのときの遠征、ここまでですでに4本買ってたから今庄では自粛したんだっけ。
旅に出たらだいたいいつもこんな調子でついつい買いすぎちゃうと言うね(笑)

今庄宿は南から「上町」「観音町」「仲町」「古町」「新町」の5町で構成されている。
このあたりから仲町になる。

長さこそ1kmとそこまで長くはないが、写真映えするポイントや建物が点在していることに歩くと気がつく。
仲町にはその「建物」のほうが集まっている。

(2ページ目へ続く)

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