鯖街道。
若狭国(現福井県)と京を結んだ街道は、いつしかそんな愛称で呼ばれるようになって久しい。
おもに海産物を運ぶためのルートで、中でも鯖が主要であったことが由来とされる。
“鯖街道”と呼ばれる街道は実は何本もあったが、最もメジャーだったのが大原や熊川宿を経由する「若狭街道」。
そして今から綴る「朽木宿」も、滋賀の山中にあったこの若狭街道の宿場である。
平成の大合併で高島市となった朽木(くつき)は、滋賀県で唯一の村だった「朽木村」を前身とする。
中心部を現鯖街道の国道367号線が貫き、朽木宿もこの付近にある。
すぐそばに道の駅があるので、ここにクルマを停めて歩いて行くことをオススメする。
朽木の名は、中世から朽木氏が支配したことが由来となっており、もともとは城があったが江戸時代になって陣屋に改修された。
陣屋町として整備された朽木の町は、防備の為に道を屈折させる「鍵曲(かいまがり)」がつくられ、その名残は今も見られる。
室町時代にはすでに物資の集散地としての性格を有していた朽木は、ゆえに「市場町」や単に「市場」と呼ばれてきた歴史があり、案内板にも明確に「市場町」との記載が見られた。
そんな市場の町を、道の駅から歩き出して程なくすると何やら普通ではない建物がお目見えした。
すげぇ…。
昭和8(1933)年に建てられた丸八百貨店。
泣く子も黙る朽木のランドマークである。
竣工当時は2階建てだったが、のちに増築して3階建てになった建物で現在は登録有形文化財。
無料休憩所兼カフェとして公開されているので、是非開いているときを狙って訪れたい。
※残念ながらこの日はすでに閉まっていた
宿場然とした風景は、この丸八百貨店の前から始まる。
規則正しく植えられた柳の木が、この上なく江戸時代っぽさを演出している。
まるで小脇に鯖を抱えて京への道を急ぐ飛脚にでもなった気分である。
朽木宿には他にも特徴がある。
ひとつがこの水路。
江戸時代に整備されたと言われており、日々の洗い物から夏の打ち水、はたまた消火用水や冬には雪を融かすことにも利用されたそうだ。何だこの全能感は。
そしてこの煙突じみたレンガ造りの物体。
これは立樋(たつどい)と呼ばれる分水塔。
山からの湧水を各戸に引き込むための装置だそうだ。
そんなところでぶらぶらと町並みを眺めて行こう。
屋根の形状が独特な建物。
弁柄の格子が特徴的な妻入り家屋。
藩の御用商人だった熊瀬家の住宅。
醤油や酒などの醸造業で財を成した豪商だったと言う。
熊瀬家は伊右衛門家と仁右衛門家があったそうだ。
どっちがどっちかわからないが、こちらは造り酒屋跡。
うん。鯖街道より「鯖の道」のほうがどことなく親しみが持ててよいと思う。
これまた立派な商家だこと…。
「錦佐」と書かれているのは屋号だろうか。
「萩乃露」は高島の酒。
なるほど、酒屋でしたか。
その先は見事なまでの鍵曲。
風景が徐々に殺伐としてきて、そろそろ宿場も終わりか?と思ったところで真打ち登場。
丸八百貨店と双璧をなす旧朽木郵便局舎。
こちらもまた、泣く子も黙るヴォーリズ建築である。
近江八幡を拠点に活動したヴォーリズだったが、滋賀県内を見渡すと結構あちこち残っている。
旧郵便局の先が国道となるが、鯖街道はその手前を直角に折れ、さらに二回曲がったのちに367号線に合流する。
が、筆者はここで終わりだと思って引き返してしまった。
実はこの朽木宿。2018年の暮に一度来たことがあったんだけど、地元の人につかまっておしゃべりしてるうちに暗くなってしまい、写真が撮れなかった事件、というか苦い(?)思い出があって。
そのときはちょろっとだけ閉館後の丸八百貨店の中を見せてもらったんだけど、結局そこも撮れずじまい(笑)
いつかまた行かなきゃなー、とずっと思っていただけに、再訪が叶い感慨もひとしお。
ほとんど雨で辛かったけど、最後晴れ晴れとした気分で終われてよかった。
四日間の北陸遠征、ここに完結。
[訪問日:2021年8月15日]
コメント