レトロな港町。「網干」で歴史散歩

兵庫県
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姫路市の南西部に「網干」というまちがある。
JR神戸線(東海道線)の新快速に網干行きがあるので、名前だけはよく知られているのではないかと思う。
また、播磨臨海工業地域の一角にあたるため、近年では工場夜景でも知られたまちになっている。

この網干は、揖保川の河口に位置する立地から、古くから水運の拠点として栄えてきた。
明治以降も鉄道が通ったり銀行ができたりと近代化が進み、幅広い年代の歴史的建造物が残っているため非常に歩き甲斐のあるまちとなっている。

網干の古い町並みは、JRではなく山陽電車が最寄りとなるのでお間違えなきよう。

この「あぼしまち交流館」が観光の拠点となる。
駐車場完備。観光マップもここでもらえる。

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よこはま

船渡八幡神社

「あぼしまち交流館」のあるあたりは、住所で言うと姫路市網干区余子浜(よこはま)となる。
網干は江戸時代には3つの村があり、そのひとつが余子浜村だった。

余子浜の見どころは船渡八幡神社の前にある「加藤家住宅」。

長屋門は幕末の1864年建築。
登録有形文化財のプレートが付いていた。

その加藤家住宅の前に、勝海舟が揮毫した『擷秀碑』なる石碑が立っている。
詳細は端折るけども、依頼者から幾人かのつてを辿って勝海舟に書いてもらったのだとか。

加藤家住宅の前を東へ。
古そうな町家がちらほらと残っている。

虫籠窓がサッシになっていたお宅。
築浅かと思うぐらいキレイ。

廃業した銭湯。

その先で網干川を渡る。
川と言うか用水路レベルに見えるが、昔は川沿いに蔵屋敷が立ち並び、舟運に利用されていたそうだ。

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旧網干銀行本店「湊倶楽部」

網干川の南側がかつての「新在家村」。現網干区新在家。
ここには網干のランドマークである『旧網干銀行本店』がある。

大正11(1922)年竣工。
去年、ちょうど1世紀を迎えた近代建築。
今は「湊倶楽部」というレストランになっている。

銀行としての役目を終えたあとは、2015年まで婦人服店として使われていたが、その後売物件に。
しばらく買い手がつかなかったが、レストランのマネージャーにあたる方の幼馴染の父親が建物を取得し、こうして第三の人生を歩むことができたのだとか。

ここはいつか食事しに行きたいなぁ。
価格帯やメニュー的には、ちょっとしたお祝いとか記念日とか、特別な日に利用したい感じの。

一人でふらっと入るにはちょっと敷居が高い。。

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橋本町商店街

その「旧網干銀行本店」がある通りは『橋本町商店街』と言って、実はかつてはここにアーケードがあった。

 

2015年のストリートビューより。
奥側左手に「旧網干銀行本店」。アーケードも健在。

アーケードがなくなったことでよく見えるようになった「金井時計店」の看板建築。
いや~こいつはすごい。

この辺まで来ると商店街の面影は皆無。

商店街の南端。昔はここまでアーケードがあった。

そこから東へ行くと「あぼし一番街」という別の商店街となるが、商店街の名残はことごとく撤去されて橋本町以上に面影がなかった。

唯一、脇道にこれ(アーケードの残骸)を見つけたことぐらい。

(2ページ目へ続く)

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