大石内蔵助率いる47名の赤穂浪士が、主君・浅野内匠頭の仇討ちで吉良上野介を討った赤穂事件。俗に言う「忠臣蔵」。
この赤穂事件の舞台となった赤穂市、すなわち播州赤穂の城下町をぶらぶらと歩いてみた。
赤穂と言えば「赤穂の天塩」が有名な、国内屈指の塩の産地。
北前船の寄港地だった「坂越」が塩の積み出し港として栄えたことは、以前言及した通りである。
何はともあれ赤穂浪士を生んだ赤穂城を見ないことには話にならない。
五連白壁土蔵が圧巻の歴史博物館の駐車場にクルマを停めた。
赤穂城
江戸初期に築城された赤穂城。
当時は瀬戸内海に面し、船での入城も出来たそうだ。
廃藩置県で破却されてしまうが、昭和の中頃から復元が始まり、今なお発掘作業が行われている。
2016年から一般公開されているという、復元された「二之丸庭園」を見てきた。
“The 大名庭園”とも言うべき池泉回遊式庭園。
庭園からは工場が望める。
臨海工業地帯でもある赤穂らしい風景。
掘割を水鳥(たぶん鴨)が元気よく泳ぎ回っていた。
2001年に復元された本丸厩口門から中へ。
本丸に天守台があったので上ってみる。
珍しいことに本丸にも庭園があったようで、こんな一風変わった光景が拝める。
天守台こそ残っているものの、計画段階で頓挫したのか、なぜか有史以来一度も天守閣が築造されたことはなかったそうだ。
枡形になっている本丸表門から退場。
大石良雄宅跡
忠臣蔵の中心的指導者、大石内蔵助こと大石良雄の屋敷。大半は火災で焼失したものの、長屋門だけが現存している。
浅野内匠頭の刃傷事件を急報すべく、早駕籠に乗って江戸を発った早水藤左衛門と萱野三平が実際に叩いた門がこれ。
忠臣蔵ファン垂涎のスポットである。
大石良雄宅跡の向かいには大石家と親戚関係だった近藤源八宅跡の長屋門が残っている。
こちらも赤穂城内に残る、数少ない江戸時代の遺構。
大石神社
続いては赤穂浪士を祀る「大石神社」。
内蔵助さん。めちゃくちゃ強そう…。
実は大石内蔵助だけではなくてですね。
参道には四十七義士の像がずらりと整列。圧巻の光景。
ちなみに、主君の仇討ちと言う大仕事をやってのけたことにちなみ、ご利益は「大願成就」だそう。
今夜討ち入りを決行するで!って人は是非参ることをオススメしますw
さて。
城は見たのでお次は城下町へ。
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