佐原・町並み保存地区と裏通りの色街跡

千葉県
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江戸時代後期に舟運で栄え始め、おおむね昭和30年頃まで繁栄が続いた千葉県佐原市(現香取市)。
同時代に建てられた歴史的建造物が残る町並みが1996年に重伝建に選定され、今でも往時の繁栄を偲ぶことができる場所となっている。

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小野川沿いのまちなみ

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歴史的建造物群は、遊覧船に乗って水上から眺めることも可能。
30分の船旅で、料金は大人1,300円。
こたつがまた風流。時期的にはそろそろですかね。

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そんなわけで、後半では小野川沿いを中心に引き続き目についた建物たちを紹介していきましょう。

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なんか片仮名が出てくると調子狂うなぁなんて思ったけど、右横書きがイイですね。
この書き方が廃れ始めたのは戦後数年頃なので、少なくとも戦前の建物であることは間違いなさそう。

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柳の木がまた絶妙なアクセントになっていいんですわ。
どうですか、この絵。レトロ好きにはたまらないでしょう。

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香取街道と小野川が出会う場所が「忠敬橋」。この角に建つのが、県の有形文化財になっている中村屋商店。
驚くことなかれ、1855年建築とそろそろ170歳に達しようという建物。

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この蔵のような建物は、1880年(明治13年)築の正文堂書店。東日本大震災で被災したが、約二年の歳月をかけて復旧された。
既に書店としては引退しており、今では外観だけ見学可能となっている。

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正文堂の先は、団子屋、そば屋、呉服屋とすべてが現役で稼働。
佐原の町並み保存地区の特徴として今でも当時の商売を続けている店舗が多く、中に入って“生きた姿”を直接見ることができる。
やっぱり資料館としてよりもこっちのほうが断然嬉しい。

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今度は、忠敬橋の北側を少しく見て行きましょうか。
右隅にちょろっと船着場が見えてますが、ここでは「だし」と呼ぶそうです。

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こっち側で真っ先に目についたのがこちらの「木の下旅館」さん。
明治34年(1901年)創業の老舗旅館。建物自体はもっと古いそうで、映画やドラマの撮影によく使われるというのも至極納得。

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一泊二食で6,300円(今は6,480円かな)という、ずいぶん良心的な価格設定。
ただのボロ宿じゃん、っていう人も若い世代を中心に相当数いるだろうけど、これほどの歴史と伝統が詰まった味のある建物にこの値段で泊まれるのははっきり言って安すぎるとさえ思う。
機会があればいつか泊まってみたい。

※現在は旅館営業はしておりません

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ゆかりなつかし伊能忠敬の地図のふるさと水の郷

一見短歌かと思って読んでみたらまったくもって5・7・5・7・7じゃなかったw
いやービックリした。

こんなところで町並み保存地区の散策は終了。
でも、ここで帰るのはもったいない。 この街の本当の見所は、路地裏にこそ隠されているのだ。

[訪問日:2014年11月22日]

(3ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    佐原は意外と見所多いです。
    駅付近の商店も昭和していますし、
    また、遊びに来てください。

    • machii.narufumi より:

      そうですか。二回とも電車じゃなかったので駅付近は見れなかったのですよ。
      是非また再訪しますね!

  2. 千葉市民 より:

    最後の路地裏の付近は、嘗て東海酒造があった所の裏ですね。
    佐原の厳密な地名は『田中か、新上川岸ね』
    毎年、夏、秋は佐原は大きな祭りが有りまして、撮影された所の裏の駐車場で車を止めて
    祭り見物してますよ。

    小料理みどりのそばの建物は、数年前まで住んでいた様な・・・高齢な方でしたが。

    古い世代の人の話だと、佐原、木更津、銚子(だった筈)
    金があったら散在する恐ろしい場所だったとか・・・・

    • machii.narufumi より:

      地元の方の貴重なコメント感謝します。
      佐原、木更津、銚子。すべて遊里があったところですね。納得です。
      木更津はずいぶん前に歩いたので、近々きちんと歩こうと考えてます。銚子は訪問済なので、将来的にアップされる予定です。いつになるかわかりませんが・・

  3. 佐原港を知ってる世代です。 より:

    うちの曽祖父は遊びが過ぎちゃった人。3回結婚して、私の知ってるひいおばあちゃんは元々真面目な仕事じゃない系の人です。
    色々と面白エピソードがあった人で、息子の大伯父が戦時中に出征する際には、ゆかりの女性たちがズラリと集結して、「坊ちゃん万歳!」とやったそうです。

    佐原は江戸への水運で栄えた街なので、江戸仕込みの「遊び」とか、「余裕」みたいな文化がありました(さすがに江戸と比べると品とか粋の部分では比較は出来ませんが)。戦後徐々にそういう文化は廃れましたが、昭和50年頃、つまり佐原が現役の街としての最後の隆盛期くらいまでは残っていたようで、私の七五三のお祝いにも芸者が同席していたとのことです。

    重伝建地区とのギャップ、と書かれてましたが、まさに現役の街からの凋落と、過去への回帰を売り物にする現状を象徴していますね。

    • machii.narufumi より:

      栄えていた時代の佐原の様子がありありと浮かんでくるようなものすごいエピソードですね。
      街の繁栄に「遊び」はつきもので表裏一体と言いますか。そういう場所をたくさん見てきましたが、佐原のように保存地区になった場所はその裏で凋落した遊里が見られるようなところもまた多いです。

      昭和50年頃までまだ現役だったというのは驚きです。
      貴重な体験談をありがとうございました。

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