藩政時代の武家屋敷群。弘前の仲町を歩いてみよう

青森県
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日本三大桜の名所として有名な青森県弘前市の弘前城。

慶長16(1611)年に二代目藩主の津軽信枚によって築城され、城下町が整備された。
城の北側には「武家町」の種別で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されているエリア、仲町(なかちょう)がある。

今日はこの仲町を歩いてみよう。

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かつては大手門だった

今現在、弘前城の大手門(追手門)は南門となっているが、築城当時は北門(亀甲門)だった。
城の北側には防衛のために家臣の屋敷が集められ、侍町が形成された。
それが仲町と呼ばれた一帯で、その3分の2にあたる10.6ヘクタールが保存地区に選定されている。

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仲町へのアクセス

JR弘前駅から弘南バスに乗車し、「亀の甲門前」下車すぐ。所要時間は約15分。
専用駐車場はないので、車の方は近隣のコインパーキングを利用しよう。弘前城の近くなので駐車場はたくさんある。

弘前駅から3kmぐらいなので、歩くのが好きな方であれば歩いて向かうのもよいかもしれない。

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仲町の町並み

当時の地割をよくとどめている直線的な通りに沿って、サワラの生け垣に板塀、そして薬医門が連なり武家町の雰囲気を色濃く残している。

保存地区は東西約600m、南北約200mの短冊形の範囲にあたり、そんなに広くもないので散策もしやすい。

なお、重伝建に選定されたのは昭和53(1978)年5月。全国で11番目というかなりの古株である。

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公開武家屋敷

仲町には「旧笹森家住宅」「旧岩田家住宅」「旧伊東家住宅」「旧梅田家住宅」の4棟の武家屋敷が一般公開されている。

旧岩田家住宅

旧岩田家住宅。1800年前後の建築と言われている

保存地区の東端にある茅葺屋根の「旧岩田家住宅」。
寛政時代末から文化年間に建てられたと言われており、昭和56年に市へ寄贈された。
大掛かりな改築は行われておらず、主要部の部材や屋根は建築当初のままであるとのことだ。

内部も昔のままで残っているため、当時の武士の暮らしぶりがよくわかる。

旧笹森家住宅

「旧笹森家住宅」はもともと保存地区東部の小人町にあった建物で、市への寄贈を機に現在の場所へ移築復元された。
宝暦6(1756)年の文献にすでに記載が見られることから、地区内に残る最古の武家屋敷だそうだ。(移築だけど…)

間取りは建築当初のままとのことで、こちらも武士の生活がよくわかる。

旧伊東家住宅

この日は休館日だった「旧伊東家住宅」。
仲町の武家屋敷は2棟ずつが重複しない曜日に公開されているので、一日ですべて見ることはできないというなかなか旅人泣かせな仕組みになっている。

ちなみにこちらの「旧伊東家住宅」は、伝建地区外から移築した藩医の住宅。
「旧伊東家住宅」の西側にある「旧梅田家住宅」も、建築当初は弘前城の西側にあったものを二回の移築を経て現在の場所へ。

まとめると、一度も移築せずに元の場所にとどまり続けているのは「旧岩田家住宅」のみとなる。
なお、公開武家屋敷は4棟とも無料で見学ができる。移築だからかもしれないが、弘前市はなかなか気前が良いと思う。

 

サワラの生け垣と薬医門

この日は雨だったので望むべくもなかったが、天気がよい日には津軽富士の異名を持つ「岩木山」が地区内からよく見える。
雪をかぶった時期はさぞ美しい姿を望めることだろう。

石場家住宅

また、厳密には伝建地区からわずかに外れるが、亀甲門の前に国の重要文化財に指定されている「石場家住宅」が残っている。

石場家住宅。こみせが残る

建築は江戸中期と言われ、現在は酒屋を営んでいる。
雪国特有の「こみせ」も見られ、内部は有料だが見学も可能。

時間に余裕があれば立ち寄ってみるのをオススメしたい。

 

あくまで主観だが、弘前と言えばまずは弘前城が有名で、次いで近代建築になろうかと思う。
武家屋敷のイメージを持つ方はあまり多くはないかもしれないが、重伝建にも選定されている仲町の町並みは思っていた以上に武家町の名残をよくとどめており、見ごたえがあると感じた。

一日で回るにはもったいない街なので、2~3日ぐらい滞在して色々見てみてはいかがだろう。

[訪問日:2022年10月7日]


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