日本三大遊郭と言えば、江戸の吉原、京の島原、大阪の新町と俗に言われている。(時期や出自の違いで長崎「丸山」や伊勢「古市」になることもある)
これは既知のことであったが、同時に関東三大遊郭なるものもあったらしいというのを知った。そのうちのひとつが茨城の潮来にあったというので、立ち寄ってきたというのが今回のお話。
三大遊郭も夢の跡
もったいぶってもしょうがないのでいきなり現地の様子を。ここがかつての大門通り。
見ての通りな~んにも残ってない。
手前左側には食堂があったみたいだけど、完膚なきまでに更地にされてしまっておりました。
右手にある雰囲気のある塀が、かつてここにあった「あやめ楼」の唯一の名残だとか。建物は2007年頃に火災で焼失してしまったそうである。何とも残念な話。
そもそも潮来って初めて来たとかいう以前に白状すると読めませんでした。えぇ。ホントごめんなさい。「いたこ」と読みます。
何もないのを分かっててわざわざ来たわけではなく、佐原に来たついでに近かったから寄ってみたというのが本当のところ。
左手に見える杭のような棒。かつて復元された大門が立っていたとかで、その一部かと。
もうね、色んな意味で残念すぎるんですが後発の宿命だと思って素直に諦めましょう。いいんです。一応今はこんなんですよ、という現状報告のつもりで書いてるんで。
付近を歩いてみる。廃業した料亭とか。ここは芸妓置屋もあって芸娼妓混合だったそう。
ちなみに『全国遊廓案内』を見ると、昭和5年時点で衰退が著しく、妓楼3軒、娼妓約20人となってるので花街としての性格のほうが強かったのでしょうね。
こっちが正面。一本横の通りから。
潮来ってあやめが有名で、毎年6月頃には「あやめまつり」が開催されるんだとか。有名みたいだけど全然知らなかった(´・ω・`)
元々潮来は江戸時代、水運が盛んだった頃には交通の要所だったとかで、それが関東三大遊郭とまでに言われるようになる色里の素地となったことは間違いないようです。
それにしても、そんな栄華がホントにあったの?と言いたくなるほどの寂れっぷりだった。
この廃屋はまさにそれを象徴するかのよう。
とまぁほぼ成果なしの潮来散策だったわけなんですが、この日はもう1ヶ所、旧赤線地帯を見てきた。
そんなわけで次回へ続きます。
[訪問日:2015年6月28日]
コメント
う~ん、残念ですね。
少し前までは、もう少し残っていたのですが、、、
潮来の町中の図書館に当時の潮来遊郭の写真が資料にでてました。
図書館まで行かれたとは・・いやはや、先駆者として頭が下がります。
僕も在りし日の風景を見てみたかったですね。残念です。
千葉県民ですが、私もまったく偶然、遊郭を経営していたというお婆さんと世間話をする機会がありました。
「昔、ここに遊郭があったんですよ・・・。立派な建物が立っていたのだけど火事で焼けちゃってね〰。」
そんな話を聞きびっくりした記憶があります。
調べると江戸時代後期の潮来は利根川水運で栄えて地方大名の別荘ができるぐらい栄えていたそうです。
よくわかります。今行くとビックリするぐらい何も残ってないんですよね・・。
そういう驚きがあるからまちの歴史って面白いんだろうなとは思いますが。