過疎の極み…足尾銅山跡と足尾の町並みを眺める

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昨年、限られた連休を使い、4回に分けて東北地方をガッツリ回った。夏に青森に行き、残るは福島県のみとなっていた。
福島なら(距離的に)バイクで行ける気がしていたので、シルバーウィークは北関東+福島で計画を立てた。

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足尾銅山観光

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そんなわけで初日。手始めに足尾銅山に立ち寄った。
ずっと前から来たかったものの、辺境すぎてなかなか足が向かなかった場所である。

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ここは、小学校時代に社会が好きだった人であれば「足尾鉱毒事件」で知っているところではないかと思う。
現在は、銅山もとうに閉山し「足尾銅山観光」として観光スポット化されている。

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トロッコで坑道内部に入り、徒歩で見学ができる。大人820円となかなかいいお値段。
2015年は5連休という大型連休だったにも関わらず、ほとんど人がいなかったのが印象的だった。
まぁ、ここからほど近い日光はきっと大混雑だったんだろうけど。

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坑道に入ると程なくして降車場に到着する。
濡れた軌道が電球に照らされ妖しい光を放っている。
まさに気分は探検隊。一人だけど。

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観光客が見られるのは坑道のほんのさわり部分で、奥部へ続く道程は鉄格子と堅い錠前によって閉ざされていた。
それにしても…「この先、1200キロ以上の坑道が続きます。」ってマジ?
これ、軽く東京~博多間の距離なんだけど。

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引き返し、順路に沿って進むと当時の鉱山で働く人々の様子が時代別に再現されている。
まずは江戸時代。そう言えば佐渡金山もこんな感じだったなぁ。

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しかしマネキンが実にリアルに作られてて、薄暗い雰囲気も相まって軽くホラーである。
これ子供とか泣き出すんじゃないのか。
出会い頭にこんなのが立ってたら有り金全部叩きつけて逃げ出すレベル。

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ここらで軽く歴史のお勉強を。
足尾銅山の開山は江戸時代、1610年とされている。幕末には産出量も激減し衰退したが、明治時代に次々大鉱脈が見つかり、大規模な鉱山開発が行われるようになる。
それが引き金となった足尾鉱毒事件を経て、1973年(昭和48年)に閉山。以後は輸入鉱石で銅を作っていたが、1989年(平成元年)にそれもストップ。

っていうか、結構最近まで稼働してたんだね。

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だいぶ時代が進みました。これは昭和時代。
手掘りだった江戸時代の人々が目の当たりにしたら涙目必至の光景。

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当人たちは楽しかったかもしれないけど…坑夫って過酷な仕事だよなぁと思わずにはいられないひとコマ。
ちなみに高山病ならぬ「鉱山病」という呼称が実際にある。

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探検コースは意外と短かった。
まぁ、観光客の体調面なんかにも配慮してるんだろうけど。

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坑道から帰還するとそこは展示室。まぁ定番の流れですよね。どうせ最後にみやげ屋でしょ?

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明治時代頃になると、人や鉱石の輸送力もだいぶ向上したようです。
軽便鉄道も敷設されていたとか。

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資料館を抜けると、中に入るときに通ったトロッコ軌道あたりに出てきた。
なるほど、まずは日光を浴びて外の空気を吸いましょう、ということか。

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江戸時代に広く流通した硬貨「寛永通宝」。一部足尾で作られたものもあったようで外に展示してあった。それにしてもでかい。
足尾産には信頼と実績の「足」マークがついてるんですね。

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みやげ屋をレビューしてもしゃーないのでスルー。銅製のやかんとか色々ありましたがね。もはや産出も製錬もしてないのになんだかなーと。
「銅もありがとう。また銅ぞ」

銅いたしましてm(__)m

観光気分はこんなところにして、足尾の町並みを眺めるために徒歩で通洞駅へと向かう。

(2ページ目へ続く)

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