横浜 永真遊郭跡を歩く[2]

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1880年(明治13年)に高島町遊郭から移転を開始した永真遊郭は、これ以降急速に発展し最盛期(大正中期)には貸座敷約80軒、娼妓は1800人にも達した。
これは、居留外国人向け専用の妓楼があったことや、それにならってモダンな要素を郭内に取り入れたことが原因だと言われている。

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検梅所の跡

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前身の吉原遊郭時代、あまりの梅毒の罹患率の高さに本格的な検査がスタート。永真遊郭にもそのための施設が作られ、これがのちの真金町病院となる。
そして現在は真金町公園となっている。

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何気なく路地を歩いていたら、ずいぶんパンチの効いた物件を発見。まるで空襲でにも遭ったかのような佇まいである。
転業のアパートではないかと勘繰ってみた。

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これまた赤線跡によく見られる韓国系のお店。限定すると誤解を生みそうだけど、韓国に限らず外国人が経営する飲食店、スナックやパブは比較的多い。

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元妓楼かな、と思いたくなるような中華料理屋。

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別の角度から。

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三階建て。改装してるけど、ドアが二ヶ所。これもまた限りなくグレーな物件。

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疑えばキリがないけどたぶんこれも。

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確信的な物件ってもう残ってないんだなぁ、なんて思いながら歩いてたら。
あった。

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どっからどう見ても妓楼です。本当にありがとうございました。

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斜めから。往時の姿をとどめている遺構はこの一件だけ。都市部は新陳代謝が早いので仕方ない。残ってくれていただけでもありがたいと思わないと。

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さて、そろそろ帰るかな、と歩き出したところでもう一件。玄関部分だけだけど。

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戦後も赤線として生き長らえた土地柄のせいなのか、ラブホテルが数軒。

コンビニで買ったと思わしき、缶ビールなどが入ったビニール袋を片手に中に吸い込まれて行った熟年カップルを横目に「性産業は、衰退することはあっても消滅する日は未来永劫来ないだろうな」と思いながら帰路に着いた。

【訪問日:2014年3月8日】

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