関東屈指の大歓楽街 川崎・堀之内を歩く

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関東ではなく「全国」でもよかったかもしれない。
川崎・堀之内。
あえて説明する必要すらないが、関東では吉原に次ぐ店舗数を誇る、お風呂屋さんの街である。

この堀之内が、戦後は赤線だったことまでは知っている方も多いと思う。となれば、「じゃあ、当時の建物って残ってないの?」というのが気になるところではないだろうか。

気になったので行って来た

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気になったことはこの目で確かめればいい。そんなわけで昨年の秋、ちょうど蒲田に用があったのでついでに川崎までやって来た。
現地へのアクセスは、川崎市役所東側の路地を北上するのが最もわかりやすいかと思う。

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堀之内の歴史をざっくりと戦前から俯瞰してみると、飯盛旅籠⇒花街⇒空襲で壊滅⇒赤線(厳密には青線)⇒ちょんの間⇒トルコ⇒お風呂屋街という流れになるようである。
遊郭は南町のほうで、堀之内は実は花街だったというのはちょっと意外だった。

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皆さんよくご存知かと思うのでいちいち申しませんが、先ほどの流れの中でちょんの間だけは若干扱いが異なり、歴史に連続性を有している。
ほら、早速出てきた。

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若干カフェー調の意匠をとどめるも、造りは完全にソレ仕様である。結論から言えば、堀之内の“遺構”はほぼこんな感じだと思っていただければ問題ない。

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鑑札は「料理店」。
廃娼県風に言えば「乙種料理店」ということになろうか。

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今から7年前。神奈川県警が大規模な摘発を敢行し、街が壊滅させられたという事件が起きた。
ところがつい1ヶ月ほど前、小料理屋を装って営業していた業者が摘発されたという香ばしいニュースが舞い込んできた。
どうやら堀之内はまだ生きていたようだ。

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女中さんの“業務内容”が気になるところである。

お隣横浜市の黄金町はすっかり浄化されてしまったが、さすがに堀之内と言えば泣く子も黙るバリバリの現役選手。ぬけぬけと営業することが比較的容易だったのは想像に難くない。

「木を隠すなら森」である。

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行く前は「カフェー建築のひとつでも残ってたらいいな」ぐらいの気持ちだったが、よくよく調べてみると赤線ではなく青線的な私娼街だったというのだから、どうやら期待する相手を間違えていたようだ。

後で気づくのだが、川崎の南町と堀之内の関係は、横浜で言う曙町と黄金町の関係に似ていると思う。

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まぁ意匠的にはなかなかおもしろい建物も残っていて、見ている分には楽しい。
ただ、約50店のお風呂屋さんが密集する聖域のような場所をカメラ提げて歩くのはあまり楽ではない。

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もう途中から完全に開き直って堂々としていたが、別にボーイに何か咎められるわけでもないし意外と平和なもんである。
お店の外観を撮ればさすがに怒られるかもわかりませんがね。

あえて比べるなら、関西の新地のほうが100倍気を使うし神経すり減るので疲れる。

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むしろ、ぐるぐる歩いてたら「また会いましたね。いい写真撮れましたか?」なんて声かけてくる人もいたりして、思ったより堀之内のボーイはフレンドリーだった。

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脱線ついでにさらに脱線すると、筆者は昔川崎で働いていたことがあるのだが、会社の先輩が「あの辺にはホリノウチって歓楽街があるんだよ」って言った意味が当時はさっぱり理解できなかった。新卒三年目ぐらいの話である。

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しかしその後の人生の精進の甲斐あって、今ではどんな街かわかるようになり、それをネタに文章を書くほどまでになったのだから人生何が起こるかわからないものである。

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この堀之内散策もいつかやろうとずって思っていたものの、現役の街だからという理由でなかなか重い腰が上がらなかった。日の出から営業してるので早朝にこっそり歩く技も使えないし。

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でも来てみたらなんてことはなかったし、先述の理由で川崎には色々思い入れがあるので懐かしい気分に浸りながら楽しい時間を過ごすことができた。
二の足を踏んでちゃダメなんですね。何でもまずはやってみることが肝要かと。

まさかここでそんなことを学ぶことになるとは思わなかったけど(笑)

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途中からグダグダになったけどいかがだったでしょうか。興味のある方は是非現地へ足を運んでみてください。

次回は南町。乞うご期待。

[訪問日:2015年10月4日]


コメント

  1. maru より:

    いやいや、、、
    堀之内といえば若かりし頃、早朝に会社の車で登楼した思い出が。
    サ-ビスよかったです(笑)

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