群馬県桐生市。
「西の西陣、東の桐生」とまで言わしめた、かつて絹織物の産地として栄えた街である。
江戸時代後期から昭和初期頃の蔵づくりの町家や、ノコギリ屋根の織物工場が残る桐生新町の町並みが、2012年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
仲町を歩いたあと、そのまま徒歩で保存地区を目指した。
桐生新町重要伝統的建造物群保存地区
矢野本店。店舗が大正5年、蔵が明治中期だそうである。
桐生新町は、昭和4(1929)年に名前が変わり現在は「本町」である。ただ、町の範囲は変わらず今でも登録名をはじめ「新町」の名が使われている。
そのお隣にあるのが「有鄰館」。旧矢野蔵群ともいい、江戸時代に酒や味噌を醸造していた矢野本店の当時の蔵が残っている。
中は無料で見学できるのでちょっと見て行くことにする。
江戸時代~大正時代に建築された蔵が9棟残る。
現在はコンサートやギャラリーなどの文化イベントに活用されているようで、地域振興に大いに貢献しているとのことである。
場所を言い忘れていた。現在、駅の少し東側にある「本町通り」を北上中。
通りに残るこの建物は「旧書上邸」。実は、作家の坂口安吾が晩年過ごした家である。
新潟で生まれ、東京で暮らした安吾がなぜ桐生なのか。これについては長くなるので割愛する。興味のある方は調べてみてくださいな。
ひとつ前の記事で桐生には「坂口安吾が通った青線」があったということを書いたが、それはこういうことだったのである。
坂口安吾と言えば、そう言えば以前田園ハレムについて書いたことがあった。一応リンク貼っておきましょう。
ここからは国登録有形文化財が続きます。
まず曽我家住宅。明治後期頃。
面白いのがこの建物、通りに対して平行に建てられておらずやや雁行している。
平田家住宅。明治33年。
中村家住宅。大正11年。
火災の際に、上州名物からっ風による延焼を防ぐために北側が漆喰壁となっているそうである。
そういう小さな工夫もあるんですねぇ。感心しました。
有鄰館に対してこちらは「無鄰館」。
旧北側織物工場、大正5年頃だそうで。
現在は画家のアトリエとして使われているとか。
森合資会社事務所と店蔵。
事務所は大正3年。蔵は明治前期。
もはや何かの要塞か秘密基地にしか見えない。
本町一丁目交差点から裏路地へ。
今まで紹介してきた伝統的建造物は、一丁目~二丁目に集中している。
ちょうど先ほどの曽我家住宅の裏にあたる場所にあるのがこの「旧曽我織物工場」。大正11年築。
織物工場特有のノコギリ屋根が見事である。
ノコギリ屋根は、屋根についた北窓から採光することで1日中均一な光を取り入れることができる、天井が高いので機械作業の空間が確保しやすい、また、増築が容易、等の理由で、明治時代以降おもに織物工場で採用された形式である。
桐生では、かなり数を減らしているものの、ケーキ屋や美容室へ転用する例も見られ、今でも当時のノコギリ屋根が結構残っている。正直、これだけでも一見の価値があると思う。
桐生新町の散策は、徒歩だと往復で5kmは歩かなければいけないのでレンタサイクルがいいと思う。(駅前に無料のがあったというのを今知ったw)
このあと、再び両毛線に乗り込み、足利へと向かった。
折よく、わたらせ渓谷鐵道の車両が入線してきたのでパシャリ。
[訪問日:2015年12月12日]
コメント
矢野本店。
店の前にサンバ-もありで最高です。
さすが、群馬。
サンバーに反応するあたりがさすが車好きのmaruさんですね^^