古くは門前町、江戸時代には交通の要衝として栄えた愛知県津島市。
そこには見応えのある古い町並みが残っていた。
細い路地に入って行くと、かの加藤清正公ゆかりの「清正公社」がある。
熊本藩主の清正がなぜ津島なのか。実は清正は名古屋生まれで、父が亡くなったあとに叔父がいる津島に一時期身を寄せていたという。
まぁ、この写真は清正公社の横にある地蔵堂なんだけどもw
その先の丁字路を右へ折れると、昭和の香りがぷんぷんする木造住宅。
うーん素晴らしい。
その近くの街の電気屋さんにはナショナルの自販機。
もちろん引退済ですよ。ナショナルブランドはもう消滅してますから。
本町1丁目
今いるのが本町1丁目、いわゆる旧上街道あたり。この辺りが最もレトロ感が濃ゆい町並みだった。
中日新聞が完全に町並みに溶け込んでいる。
出格子の町家。この通りだけちょっと保存地区のような異質な雰囲気。
全体的に状態が良く、今でも普通に住宅として使われている。
この糀屋(こうじや)さん、創業安政2年だそうで・・(;゚д゚)
文字通りだけど、麹、甘酒なんかを売ってるみたい。
その先には津島市観光交流センター。
1929年(昭和4年)に建てられた、元銀行の建物。そう言えば川越でこんな感じの銀行建築見たなー。
ものすごい薬局があった。
今にも薬売りのおばあちゃんが行商人スタイルで出てきそうな雰囲気w
ぼちぼち駅に戻ります。あとは何も考えずにただまっすぐ歩けばいいので楽ちん。
駅前通りに普通にこういう古民家が残ってると結構驚くんですが、そう言えばここは津島だった。
Wikipediaを読むと、津島は明治時代までは栄えてたらしい。昭和以降、まず鉄道の開通が遅れ、さらに重工業の誘致に失敗。周囲の市町村との合併も行われず孤立無援のまま衰退していったとある。不憫すぎて涙が止まらない。。
とは言え、都市化、近代化が行われなかったことでこうして歴史ある古い町並みが残ってるんだろうからあながち悲観することもないのかな、と思ったりもする。
いや待てよ。歴史に「たられば」はないけど、逆に発展してたら古い町並みを観光資源としてお金かけてきちんと整備して、市の経済に貢献する場所になっていたってことも十分あり得るのか。
まぁどっちでもいいか。いずれにせよ、本町界隈が素晴らしい町並みであることには変わりないんだから。
ご覧のとおり、駅前通りにも結構渋い建物があちこち残ってるんですよ。
おかげでなかなか駅に着かない・・
最後までまったく気が抜けなかった。
まさかこれほどとは。いやー完全に舐めてました。津島のこと。
ラストがこのカフェー建築風の豆タイル物件。
もうおなかいっぱい。勘弁してください。
旧街道や脇往還沿いの宿場町ってジャンル的にはそんなに好んで歩く対象ではないんだけど、今回の遠征でちょっと認識が変わりました。
元々日本史は好きだったし、これから少しずつ勉強して歩く街を増やして行こうかなぁと。
そんなことを思った2015年最終日でした。はい、次でようやく今年に入ります(笑)
[訪問日:2015年12月31日]
〒496-0802 愛知県津島市錦町 津島駅
コメント
まさしく、知らない街を旅していますね。
こちらのように、観光地じゃないと
一時でもいいから、住民になってみたいですね。
観光地化されていないところのほうが意外と味があっていいですよ。
人が来るとどうしても俗っぽくなっていきますからね・・
津島市の歴史でもう少し付け加え頂きたいところが有ります。
戦後の商業として繊維業が盛んな時代に津島市も発展し労働組合も出来るほど産業として発展していたようです。天王川公園にある銅像も毛織物を盛んにした片岡の銅像も有ります。この銅像の柱の下に羊の顔を模した部分が特徴だと思います。
実際に衰退したのは、どの産業も同じですが、中国や台湾など東南アジアへ進出し、安い製品が輸入されるようになり、安い製品が消費されるようになってから、繊維だけでなく、従来あった日本の工芸にいたるまでが、衰退が始まったと思います。
50歳を過ぎた私の父や母の話を昔から聞いて育った年代ですので、日本が高度成長にあった時代の事ですので、津島市とその周辺の市も、同じように発展し栄えているので、特別とは言えないかも知れませんが。
繊維業が盛んだったと言うのは初めて知りました。(なにぶん不勉強なものですから)
おっしゃる通り、高度経済成長期を経て、海外産に押されて衰退していった産業は林業や鉱山などを筆頭に枚挙に暇がありません。
産業が興り、まちが栄え、そして衰退していく。歴史や痕跡を訪ねたり調べたりするのは楽しいことです。
機会があれば、また津島を歩いてみようと思いました。ありがとうございました。