ボニンブルーの海に抱かれた要塞島…世界自然遺産の小笠原諸島・父島に眠る戦跡を見てきた

東京都
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ボニンブルーアイランド父島。マリンレジャーや雄大な自然を楽しむリゾート地として認知されているが、とんでもない話である

この島は、戦時中、日本軍によって数々の要塞が築かれた「戦跡の島」なのだ。その歴史を知らずして、本当の意味で小笠原に行ったことにはならないと思ったので、最終日に満を持して半日の戦跡ツアーに参加してきた。

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夜明山

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父島はほぼ全域に渡って戦跡が点在しているが、最も集中しているのが夜明山。どのツアーでも必ずここに連れていかれることになると思う。

「夜明け」か…終戦を想起させるようでいい響きではないか。

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現地で出迎えてくれるのが、「にのきん」こと二宮金次郎像。首がないのは米軍が戦利品として持ち帰ったからだとか。これで父島がただならぬ島であることがおわかりいただけただろうか。

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その前に立ち寄った、発電所の跡。

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圧縮された空気を入れておくタンクだったそう。

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この地下壕は重要な通信施設だったようで扉が4重になっている。

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碍子の残骸。

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発電設備の一部・・いや、通信設備か?
写真撮りながらついて行くのに必死で説明があんまり頭に入らなかったので、結構記憶が曖昧です。

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ちなみに参加したのは、戦跡ガイドの第一人者、『板長』さんのツアー。父島戦跡のすべてを熟知されている方で、なんと25通りものコースをお持ちとのこと。

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貯水タンク。

41式山砲

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地下壕の中に、山砲の残骸が遺っていた。有名な戦跡で、よく写真などでもお目にかかる代物。

夜明山陣地へ

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夜明山は島の東西を見渡せる要衝であったため、諸施設の他、陣地もつくられた。かなりの兵士がいたようで、板長さん曰く『島全体では陸海軍あわせて20,000人(陸軍のほうが圧倒的に多かった)』とのこと。

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詰んであるセメント袋は防御壁として使われていたとか。

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ところで父島では、アメリカ軍の上陸がなかったため地上戦は行われなかった。ただ、空襲はあって命を落とした兵士もいたそうである。

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木には機銃掃射で撃たれた生々しい跡が残る。

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貯水槽。

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12cm高射砲。初寝浦(東側)に向けて設置されていた。上陸を食い止めるためのものだったのだろうか。

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砲身の中を撮す。

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錆びてるのみならず朽ち果てている。これを見てると、戦争は本当にあったんだなというのを嫌でも実感する。

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ここでお湯を沸かしていた。

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兵舎だったかな。確か。

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入口には碍子の残骸が転がっていた。戦時下において、いかに発電が重要な役目を担っていたかがよくわかる。

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さっきの12cm高射砲が元々あったのがここ。隠すために移動したんだとか。
結局砲台としては使われず、移設後は会議室に転用されたという話。

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山に入ると、ときどきビール瓶が転がっているのを目にする。
この星マークは、1949年に解体された大日本麦酒が製造していたことを意味する。

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この錨は何だっけ。海軍のロゴ?

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陸軍のマークがついたお椀と米軍が落とした薬莢。

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爆撃で溶けたビン。

7センチ高射砲

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最後に案内してもらったのが地下壕に隠されたこの高射砲。コイツが一番存在感を放っていた。

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昭和16年製造。75年前か。
砲身が狙う先は・・

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島の西側。境浦、扇浦あたり。これも上陸を水際で食い止めるためにここに設置されたと考えるべきだろう。

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物資を運ぶためのトロッコ軌道の残骸。

海軍通信隊本部跡

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山から下りてきて、これで終わりかな、と思ったらもう一ヶ所案内してもらったのがこの海軍通信隊本部跡。

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発電機が設置してあった台座。

爆撃を想定してかなり頑丈な造りになっていたんだけど…

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爆弾が中で一発だけ炸裂したらしく、壁と天井に穴が開いていた。なんちゅー破壊力だ。

濱江丸

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境浦海岸に、米軍の空襲と魚雷によって座礁した貨物船、「濱江丸」が今でも放置されている。帰りに展望台に立ち寄ってくれた。

その帰りの車中で耳寄りな情報を聞いたので是非ともここで書き記しておきたい。

  1. 父島には遊郭があった
  2. 民宿かなめの北側、青い屋根の建物がある場所が海軍の遊郭跡
  3. 海軍の遊郭は「かいらくえん」と言った。まさか「快楽園」ではないと思うが…。
  4. 濱江丸を眺める展望台の少し南側に陸軍の遊郭があった。今はもう何も残っていない

気になったんだけど、板長さんは毎回この話をしてるんだろうか。現実的には「ユウカク?何だそれ、うまいのか」って人がほとんどだろう。たまたまだとしたら、それは神様の悪戯だとしか思えなかった。有益な情報をありがとうございました。

戦跡ツアーに参加して

巷では南国のリゾートアイランドだと思われている小笠原は、悲しい戦争の歴史を有する要塞の島だった。もちろんそれは一面であり、知らない人にとってはやはりリゾート地でしかないとは思う。

終戦から70年が経ち、リアルに戦争を知る人ももうほとんどいなくなってしまった。戦跡たちは何も語らないが、それを見て何を思い、何を感じるかは人それぞれである。

すっかり観光名所のような扱いになっていることに違和感を覚えるけど、今後小笠原に行かれる方は是非戦跡ツアーに参加することをお勧めしたい。

おしまい…

じゃないよ!もうちょっとだけおつきあいください。

(3ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    海が綺麗ですね、、、私は海が綺麗なところは行ったことがないので
    定年後でも、行きたいと思います。

    そうそう、今公開中のアニメ映画「この世界の片隅に」
    お勧めしておきます。
    遊郭の建物もでてきます、、、大門とその側に立つ
    交番がなにを意味するのか、分かる観客は少ないと思いますが。

    • machii.narufumi より:

      今回はサイト的にはちょっと番外編のような扱いなのです。

      「この世界の片隅に」って、事務所と揉めた某女優が声優を務めたあの話題作ですよね?w
      お勧めされたら見ずにはいられないですね~。今度映画館に足を運んでみますね。

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