じゃこじゃなかった…「加悦」の町並み、ちりめん街道を往く

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夢の跡に出会った福知山に別れを告げ、国道176号線を北へと向かう。
途中、昼食を摂るはずだった道の駅が休業中という悲運に見舞われ、空腹状態で次の街にたどり着いた。

そこは「加悦」という街だった。

昭和4年竣工の旧加悦町役場庁舎

加悦は京都府北部、丹後半島にほど近い与謝野町にある。「かえつ」かと思ってたら「かや」だった。これ初見で読める人いるのか…。
元々は加悦町だったが、平成の大合併で2006年に消滅し与謝野町になっている。

観光協会になっている旧加悦町役場に単車を停め、散策を開始した。

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丹後ちりめん

加悦は丹後と京都を結ぶ交通の要所で、江戸時代から丹後ちりめんの一大産地として栄えた町である。

そして無知な筆者はちりめんが何なのかよくわからず、当時は割と本気で“ちりめんじゃこ”のことだと思っていた。

なるほど、海近いし(与謝野町は一応海に面している)、じゃこで潤った地域だったんだな。
…思考回路がもはや雑魚キャラレベルである。

とても古い町並みをテーマに記事を書いてる奴とは思えない。情弱にも程があるぞ…。

で、丹後ちりめんとは何か。

この地方の地場産業である高級絹織物の総称。つまるところシルク製品。
食べ物でさえなかった…。

勉強になりました。えぇ、本当にありがとうございました。

ここまでで、加悦が丹後ちりめんの産地で交通の要衝であったことがわかった。

となれば、産業があって人や物が集う場所…相当繁栄したはず。そして、昔の金持ちが建てた豪邸が古い町並みとして残っている…はず!

ちりめん街道

濱見家住宅(明治21年)

「ちりめん街道」と呼ばれた当時の街道沿いには、約260棟の建物が立ち並び、半数の約120棟が明治~昭和初期に建てられたもの。その中には、今も機音を響かせるちりめん工場もある。

井筒屋旅館(明治23年創業)

そして加悦の町並みは2005年12月に重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に、当時唯一の「製織町」として選定。
ちなみに今はもうひとつ製織町がある。それは群馬の桐生新町

創業130年近い「井筒屋旅館」はいまだ現役。

公式サイトによると女将さんの話が面白いらしい。そして、「※本当によく喋りますので、静かに料理を楽しみたい方は、その旨お伝えください。」と書いてある(笑)

料理屋の鑑札がついているところを見ると、かつては料理旅館だったのだろう。

色んな意味で、掛け値なしに一度泊まってみたい旅館である。

ちりめん機織展示実演所。

※ここを通ったときもまだ“じゃこ”だと思ってた

残念ながら実演はやっておらず。

※これを見たときもちりめんが何なのかまだわかってなかった

旧ちりめん街道。GWの初日なのに他に観光客が誰もいない。大丈夫なのか…。

考えてみたら、近畿圏でこのあたりまで足を伸ばす人ってだいたい宮津(天橋立)や舞鶴、城崎が目当てだろうから、まぁ無理もないよね、とは思う。

旧川嶋酒造酒蔵(昭和9年頃)

戦後まで酒造業を営んでいた旧川嶋酒造。戦後の統制によって造り酒屋としての歴史に終止符が打たれたそう。

現在は、「ちりめん茶屋」というカフェとして土日のみ営業が行われている。

(2ページ目へ続く)

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コメント

  1. 大津一城 より:

    水戸黄門が「越後のちりめん問屋」と名乗っていますが、私も幼い頃は「じゃこ」の方のちりめんだと思っていました(笑)

    • mast-mo より:

      やっぱりそう思いますよね!?
      自分だけじゃなかったことに安心しました(笑)