今も機音が響く丹後ちりめんの町、加悦。
ちりめん街道散策記、ここから後編。
加悦の白眉とも言えるのがこちらの旧尾藤家住宅。江戸時代末期の文久3(1863)年に建てられた、丹後ちりめんの商家。
内部は有料で一般公開されているんだけど、なんとなく気乗りしなかったので入らなかった。(たぶん腹減ってたせいだと思う)
※後年、見学してきましたがとにかくすべてが素晴らしかったのでここは絶対に立ち寄るべし。オススメでしかないです
建物は平入りの厨子二階が多く、比較的統一感のある町並みになっている印象。
旧尾藤家住宅の先でちりめん街道は左手に折れ、その後右手に折れるいわゆる「枡形」のような形をしている。
これはこの町が安良城の城下町だった頃の名残だそう。
人がいない時点で観光色とは無縁なんだろう、と少しは思ったけど、なんとちりめん街道には飲食店らしき店が皆無だった。辛うじてカフェ営業してるところがあるだけ。
「いいや、加悦で昼飯にしよう」と軽く考えたのはどうやら間違いだったらしいということに気づいて呆然としたのがちょうどこのあたり。
枡形の名残から南へ。
結局付近にはスーパーが1軒あるだけだったので加悦での昼飯は諦めた。バイク旅は割と消耗するのでちゃんとしたものが食べたかった。
まぁ何が言いたいかというと、これを読んだ方は同じ失敗をしないでくださいね、ということです。
杉本家住宅
嘉永元年に建てられた杉本家住宅。地区内でも屈指の古い建物。
嘉永元年と言うと1848年。浦賀にペリー提督が現れる少し前ですね。
これは…大黒様!?
杉本家の少し先に、一際目を引く二階建ての洋館がある。大正6年に建てられたと言われる、旧伊藤医院診療所。
玄関周りの漆喰のレリーフがかっこいい。
加悦の左官職人が神戸の洋館で修行を積んだのちに施工したんだとか。
現存する丹後最古のちりめん工場、西山工場。
江戸時代の建物を大正時代に移築したもので、昭和2年の丹後大震災を乗り越え今でも現役で稼働している。
「ちりめん発祥の地」の碑が立つ。
漢字だと「縮緬」って書くんですね。これは読めんわw
天満神社。祭神はもちろん菅原道真公。境内にはちゃんと牛もいる。
※神社に行くには137段の石段を登らないといけないのでご注意ください
どこかで見かけた年代物のレジスター。
最後に、明治9年に架橋されたという天神橋を渡り旧役場庁舎に戻った。
ジャスト1時間の散策だった。
残念ながら機音は聞けなかったけど(聞いてもこのときは何の音かわからなかっただろうけどw)、江戸時代から残る丹後ちりめんの町、加悦はなかなか散策しがいのあるところだった。
また、この日は見なかったけど、近くには廃線になった加悦鉄道の駅舎があって、もうひとつ楽しめる要素がある。
古い町並み、鉄道が好きな方は是非とも加悦の町へ。
[訪問日:2017年5月3日]
コメント
水戸黄門が「越後のちりめん問屋」と名乗っていますが、私も幼い頃は「じゃこ」の方のちりめんだと思っていました(笑)
やっぱりそう思いますよね!?
自分だけじゃなかったことに安心しました(笑)