これが因果応報か…金沢・卯辰山麓で無常感と敗北感に打ちひしがれる

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加賀百万石の城下町と言えば、当然ながら古都・金沢を指す。
兼六園、金沢城、武家屋敷群、ひがし茶屋街等、歴史と深い関係を持つ観光名所が多い、北陸の中心都市であり日本を代表する観光都市である。

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プロローグ

約5年ぶりにやって来た金沢は、どしゃ降りの雨だった。
いや、雨だけでなく風も強い。つまり、嵐のような天気だった。

今回の旅で五日間の期間中、唯一雨が降ったのがこの四日目の金沢観光だった。ある意味この日が一番大事だったのに、つくづく運が悪い。
レンタサイクル「まちのり」で回る計画が頓挫したどころか、バスに乗るために向かった金沢駅で最大の相棒、折り畳み傘が帰らぬ人となってしまった。

突然の別れ。悲劇の序章のような展開。
一体これは何の洗礼なのか。試されるようなことをした覚えはない。

ブルーな気持ちを抱えたまま、最初に向かったのは「卯辰山麓」である。
と言われてもピンと来ない人のほうが多いだろう。

ひがし茶屋街の北側一帯に広がる寺院群、つまり寺町のことで、加賀百万石の歴史を語る上で外すわけにはいかない、ただならぬ歴史を秘めた土地である。

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卯辰山麓寺院群

城下まち金沢周遊バスの「森山一丁目」というバス停で下車し、山のほうへ向かう。
するとすぐさま坂道が始まる。迷路のような細い路地。心地よいほどに閑静な雰囲気。

聞こえるのは雨の音ばかりである。

石垣と土塀

卯辰山山麓寺院群、通称「卯辰山麓」は2011年に種別「寺町」で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定された。
成立したのは江戸時代初期。加賀藩の城下町政策によって生まれた寺町である。

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一向一揆対策だった

覚えているだろうか。加賀と言えば一向一揆である。

加賀藩主前田利常は、当時強大な力を持っていた一向宗(浄土真宗)を恐れ、監視するために一向宗以外の寺院を一ヶ所に囲い込んで寺町を形成。
卯辰山麓を選んだのは、金沢城の防備のためと、厄除け(金沢城から見て北東にあたる。つまり鬼門の方角)という意味があったそうだ。

全性寺

成立後、江戸時代に二度の火災に遭うも、その後は建物も残り、町割りも当時のままだという。
山の斜面に入り組んだ細道。落ち着いた佇まいとともに、37もの寺院と2つの神社が集積する一大寺町は今なお健在である。

金沢には過去に二度観光で来たことがあり、そのときは今ほど古い町並みに興味がなかったこともあって卯辰山麓のうの字も知らなかった。(卯辰山には夜景撮影で来たことがあったけど)

やがて重伝建に興味を持つことになるが、実は金沢には4つもある。過去にそんなことは知らずに歩いた「ひがし茶屋街」もそのうちのひとつ。

ちなみにこの日、普段まったく出番のない防水コンデジを使用したため画質が著しく悪い。
せっかく金沢まで来たのにいいカメラを使えない、というのもテンションが上がらなかった理由のひとつ。

どこもかしこも寺、寺、寺。
寺ばかりである。いや、寺町だから当然なのだが、風景に変化がないので写真を撮る者としてはやはり飽きるのだ。

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まるで迷路

起伏のある丘陵地に、細い路地が入り組む。
やはり要塞の役目も担っていたのであろう。しかし、ここまで来るともはや迷路としか思えない。

スマホがこれだけ普及した現代では大丈夫だろうけど、方向音痴の観光客にはなかなか厳しいものがある。

高台だけに、ところどころ金沢の市街地を見下ろせるポイントがある。
だが、容赦なく降り続く雨にカメラを出すのも億劫になり、写真映えしない天気、そもそも性能の悪いカメラ、とこれだけ悪条件が重なると段々どうでもよくなってくる。

旅先でこれほどの敗北感を覚えたのはいつぶりだろうか。

仏教には「因果応報」という教えがある。
もしかして、これは何かの業なのか・・

山麓一帯に広がる保存地区は広い。ある程度の雰囲気は掴めたので、緩やかに下って行くことにする。
寺院の数が減ってきて、代わりに町家が増えてくる。

その、寺院と町家が渾然一体となった景観も卯辰山麓の特徴のひとつ。
そのあたりも気にしながら歩くと楽しいと思う。

ところで、卯辰山麓に隣接したひがし茶屋街は、茶屋街の建設に際し、町割りを整備し直したのであんな整然とした町並みとなっている。

つまり、元々は卯辰山麓の一部であり、茶屋町よりも寺町のほうが古い。

そんな歴史を知ると、観光やまち歩きが少しだけ楽しくなると思うのだがいかがだろう。

学生時代、青春18きっぷを使いはじめての一人旅で来たのが他ならぬ金沢であり、そしてひがし茶屋街だった。
雪が降りしきる寒い日。タイムスリップしたような、あまりに現実感のない光景は今でもよく憶えている。

旅人の原点とも言える場所。十数年ぶりだろうか。

次回、ひがし茶屋街へ!

[訪問日:2017年5月6日]


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