にし茶屋街の傍らで、まるで緩やかに最期(おわり)へと近づいているかのようにも見えた旧石坂遊郭。
人一人分の細い路地を抜けた先には、まだ当時の雰囲気が手つかずのまま残っていた。
車の進入すら拒む幅狭の路地は、そこがかつて色街であったことを雄弁に物語っていた。
嫖客や、袖を引く酌婦で賑わっていた。そんな時代が本当にあったのだろうか。現実の光景は、本来の姿とは遠くかけ離れたものでしかなかった。
今年(2018年)は、防止法の完全施行から60年という節目の年。つまりそれは、この街が表向きの役目を終えてから経過した年数と等しくもある。
記憶は薄れ、当時を生きた人はいなくなり、やがて建物も消えてしまう。
変わりゆく街を眺めながら、人生の儚さや歴史の残酷さに想いを馳せる。
縁もゆかりもない土地で、縁もゆかりもない時代に生きた縁もゆかりもない人々のことを思う。
この行為に何の意味があるのか、考えると色々なことがわからなくなる。
色街は、旅人にいくつもの“問い”を投げかけてくる。そんな魔力を持っていると思う。自分と向き合うのも、旅に出る上では大事な要素であろう。
・・そんなことを考えていたとき、それは突如目の前に現れた。
石坂最後の遺構
かつて「綾乃家」という名の屋号だった、界隈でも一番の大店。巷では『猫窓物件』と呼ばれている石坂最強の遺構である。
石坂 ≒ 猫窓
の数式が成り立つぐらい、もはや説明不要なほど有名な建物である。
もちろん、今回一番見たかった建物であり、もしかしたらもうないかもしれないと思っていただけに見つけたときは感動もひとしおだった。(場所を知らなかっただけにw)
だが、建物は荒れ放題でひどいありさまだった。
さらに、『猫窓』の由来にもなった、形が猫に見える窓もすでになくなっていた。
それでも、感動の余韻に浸りながら夢中でシャッターを切った。
そして、窓枠だけとなった猫窓から何気なく中を覗いた・・
そのときだった。
荒れ放題の内部にいた住人と目が合い、心臓が跳ねた。
いつからそこに住み着いていたのだろう。しかしこのとき、名の由来の、本当の意味がわかったような気がした。
それは、紛うことなき猫だった。
幻覚などではない。もしかしたら、この家の守り神だったのかもしれない。
動物には、未来を予知する力があるという。とあれば彼にはすでにこのとき、最期がわかっていたのかもしれない。
今となっては、この不穏な貼り紙がすべてを物語っていたのがよくわかる。
さらば猫窓
11月。半年前、そこにあったはずの猫窓物件は影も形もなくなり、無情にも目の前には更地が広がっていた。
これを見たとき、ひとつの歴史が終わったような、どこか清々しい感情が湧き上がってきた。
過去と現在、そして未来をつなぐものは、足元に残された、鮮やかなモザイクタイルの欠片だけだった。
この街を愛した人の未練がこれを残した・・そう解釈することにして、そっとこの場を離れた。
ちなみに、猫窓の隣りにあるこの建物もなくなっていた。
それ以外は、まるで昨日と同じように何も変わらない街並みだった。
半年ぐらいで変わるわけないだろう・・と言えないのが、色街の怖いところである。
たまたまとは言え、最期の姿を見れたことは自分にとっては幸運だった。
長年、あまたの人を魅了し、愛され続けたその建物は、呆気なくその生涯を閉じた。
だが、これから先も人々の記憶にとどまり続けるであろう。
雪国の色街。金沢・石坂遊郭。
かつてにし茶屋街の兄弟であったその街は、同胞を思い、負の象徴を消し去るために自らが犠牲になる道を選んだのかもしれない。
結末だけを見ると、どうにもそんな風に思えてならない。
さらば猫窓物件。安らかに眠れ。
[訪問日:2017年5月6日、11月5日]
コメント
あの有名な建物もなくなりましたか~!
いろいろ事情があるから仕方がないかもですね。
いやぁ、でもこれは結構ショックですよね。
最後に見れて本当によかったです。