以前、卯辰山麓寺院群の記事を書いたときに、加賀藩が金沢城の防備のために寺町を形成したという話をした。
そのとき、卯辰山麓だけではなく、城の南に「小立野寺院群」、西に「寺町台寺院群」と金沢城を取り囲むように3つの寺町をつくった。(北方は海なので)
寺町台寺院群
3つの中で最も大きいのが寺町台寺院群。江戸時代からほぼ変わらない地割と、今も残る伝統的な町家や寺社が評価されて2012年に種別「寺町」で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されている。
合計で70近い寺院があり、そのうち保存地区内には52の寺院がある。
寺町台は犀川の南側に位置し、にし茶屋街の入口でもある旧野田道と、蛤坂交差点から南へ延びる旧鶴来道(つるぎみち)を軸に町並みが形成されている。
保存地区があまりに広かったので、この日は旧鶴来道沿いを中心に歩いた。
特徴としては、旧野田道が寺社中心、旧鶴来道が町家中心(奥に寺社があることが多い)と表情がまったく異なるところが面白い。
寺町を形成したのは一向宗の監視のためというのは先述のとおりだけど、城の防備のほうも何気に深い意味が隠されている。
加賀百万石までのし上がった加賀藩。出る杭は打たれる時代、前田家は徳川の圧力から城を守るために防衛機能を高める必要があった。決して要害堅固ではなかった金沢城を囲むようにつくられた寺町がその役目を担ったのである。
台地につくられたのはもちろん遠くを見通せるため。一見して寺町だけど、有事の際には武士が詰めて堅固な要塞と化す。
かくして、一向宗の監視と防衛機能の強化という異なる目的を同時に果たすことになった。
このぬけぬけしさというか頭の切れ方が、ついに最後まで百万石を守り抜くという勝ち組の歴史につながっていったのだろうと思う。
忍者寺
その最たるものが、「忍者寺」として知られる妙立寺。
要塞の司令塔の役目を担うために建てられた寺院で、隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台などとてもお寺とは思えない楽しそうなオプションがたくさんついている。
寺町台で最も知名度の高いお寺で、人の多さでそれも納得した。
忍者寺をさらに南下すると、突然目の前に枡形が現れる。
これこそが、ここが要塞のためにつくられたことを如実に物語るものである。
その先には、お寺と保育園が一緒になった一風変わった光景。
仏教系の保育園ってどういう教育が行われるのか全然想像がつかない…。
もう少し付近をぶらぶら。
通りからそれたらあまり寺町感は感じられない。
寺町台界隈の地図を眺めてると面白いのが、さっきの枡形以外にもちょこちょこ小さなクランクがある。
卯辰山麓の場合は起伏&入り組んだ細い路地という地形を活かした要塞だったけど、寺町台はあまり起伏がないのでクランクを増やすことで対処したのかな、と。
忍者寺の裏側。ここもまた、細い路地のクランク。
うーん…なんかもう入った瞬間矢が飛んできそうだなw
いや、そもそも階段が落とし穴になってるとか・・
とまぁ、ほとんど寺ばかりなので建物的な面白さはあまりないけど、歴史を知って歩くと地割とか含めてまぁまぁ楽しめる要素があるかなと言う寺町台。
広いのですべてを歩くのはなかなか大変だけど、にし茶屋街から徒歩圏内なのでセットで訪れてみるといいかもしれません。
あ、あと忍者寺の拝観は予約制らしいのでお気をつけください。
[訪問日:2017年5月6日]
コメント