大洲藩の港町。伊予市「郡中」のノスタルジックな町並み

愛媛県
この記事は約3分で読めます。

松山市内から伊予鉄道郡中線に揺られていくと、やがて伊予市の中心部「郡中」にたどり着く。
この郡中は、江戸初期に松山藩から大洲藩の領地となり、藩の積出港として整備されて大いに発展した歴史を持つ。

まちなかを大洲街道が貫き、この街道沿いに港町として栄えた時代の名残が今もそこかしこに残っている。

旧街道は現在、「灘町商店街」となっている。
この商店街に沿ってぶらぶらと歩いた。

まず初めに目につくのが「郡中まち元気サロン 来良夢(こらむ)」。
明治44年に伊予農業銀行郡中支店として建てられた擬洋風建築で、銀行や事務所を経て現在は多目的施設として余生を送っている。

明治時代の建築とされる「宮中酒店」さん。

大洲藩の領地となったときに郡中のまちを拓いたのが、この地に移り住んだ宮内家。
1738年に建てられたこちらの「宮内小三郎家」は、改修工事を経て現在は「ミュゼ灘屋」というコミュニティスペースに生まれ変わっている。

なお、登録有形文化財でもある。

あまり見ないタイプのうだつが上がっている。
下のほうに見える石碑には「伊能忠敬測量隊宿泊本陣」の文字が刻まれていた。

色々と歴史がすごい。

持ち送りも独特な意匠をしていた。

続いては「つたや旅館」。
昭和初期に豪商が建てた和洋折衷の邸宅で、元々は住居として使われていたそうだ。

ここはずっと「泊まりたい旅館リスト」に入っているのだけれど、未だに実現していない。

醤油と肥料を扱う「山惣商店」。なんと今もバリバリの現役。
建物は1860年築で、元々は旅籠だったそうだ。

後ろに蔵がくっついているので奥行きも長いんだけど、横にも別の建物が繋がっていて間口もまた長い。

肥料商のホーロー看板。

おもむろに脇道に入るとそこには印判店(はんこ屋)。
ボウリングのピンみたいなオブジェは印鑑の持ち手を象った模型で、古いはんこ屋でときどき見ることができる。

ちょっとした盛り場然とした路地裏。

線路の近く。

郡中、商店街より路地裏のほうがよいかも(笑)

左側の気になる食堂、カブの停め方がカンペキすぎて思わず唸り声が出た。
これはもう名店間違いなしだ。

お次は「濱田屋」。創業明治25(1892)年。(建物は昭和8年)
料亭かな?と思ったら定食屋のようだ。
Googleマップに「かつ丼屋」と書かれている通り、「汁なしカツ丼」というのがここの看板メニューなのだそうだ。

路地を隔てたこちらの建物は解体されてしまっていた。

明治29(1896)年に建てられた旧大西はかり店。
かつては綿や肥料などを扱っていたそうだ。

明治26(1893)年に建てられた町家、木村邸。
間口が長すぎて正面からの撮影が不可能だった。

なお、伊予市の景観重要建造物に指定されている。

元造り酒屋の仲田家。大正10(1921)年築。
「国之富」と書かれた屋号が今も残る。

あまりにも昭和な自転車屋。

明治22(1889)年築の藤村家。
元は油問屋だったそうだ。

大師堂。
文字通り弘法大師の石像を祀っている。

見上げると鐘楼の両脇に一対の金剛力士像が立っている。
郡中の焼き物「江山焼」の創始者の作品とのことだ。

郡中駅の近くまで来た。
左手には元銭湯の建物。

江戸、明治、大正、昭和とすべての時代の建物が今なお残る郡中の町並み。
駅からも近く、カメラ片手に散歩するには絶好の場所であろう。

愛媛を訪れる際には、観光の候補に加えてみてはいかがだろう。

[訪問日:2022年5月5日]

日本の町並み: 歴史文化遺産 (上巻) | 苅谷 勇雅, 西村 幸夫 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで苅谷 勇雅, 西村 幸夫の日本の町並み: 歴史文化遺産 (上巻)。アマゾンならポイント...
日本の町並み: 歴史文化遺産 (下巻) | 苅谷 勇雅, 西村 幸夫 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで苅谷 勇雅, 西村 幸夫の日本の町並み: 歴史文化遺産 (下巻)。アマゾンならポイント...

コメント

タイトルとURLをコピーしました