この辺りに来るとしたら、それはきっと登山だろうと思っていた。恵那山のお膝元であり、木曽駒ヶ岳からもほど近い岐阜県恵那市。
だが、そのあてはもろくも外れた。
通称「あけてつ」。恵那駅~明智駅を50分かけて結ぶゆるいローカル線、明知鉄道に乗り込んだのは、自称乗り鉄の血が騒いだからではなく沿線の岩村に用ができたからであった。
牧歌的な車窓風景に癒やされること30分。スギ花粉の戦闘力が最も高まる時期にこんな山中に来てしまった自分の選択を激しく呪いながら、昼下がりの岩村駅に降り立った。
駅徒歩5分の伝建地区
旧岩村町。例によって平成の大合併で恵那市となったその町には、伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されているかつての城下町の町並みが残っている。この日はそれを見に来た。
駅から南東へ歩くこと5分。角を折れると唐突にそれは始まった。
ここから先が本通りと呼ばれる保存地区である。
この城下町を見下ろす城山に、旧岩村城がある。城跡ながら日本100名城に選ばれており、さらに「日本三大山城」の称号も併せ持つ。
話ついでに「女城主」にも触れておこう。戦国時代は遠山氏の城であった岩村城。
この遠山氏最後である景任の妻が信長の叔母にあたる人物で、景任の病死後、養子(信長の5男)に代わり城主を務めた。
ところが、武田信玄が岩村城に攻めてきたときにあっさりと敵方に寝返ってしまい、あろうことか武田側の秋山虎繁(のちの城主)と結婚してしまう。
こ、これは・・元祖ハニートラップ!?
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
しかしこうなると当然信長さんは激怒するわけで、自分の叔母を慈悲もなく処刑してしまう。
このバッドエンドが俗に「女城主の悲劇」とか「悲哀の物語」とか謳われる逸話であり、岩村が「女城主の里」と呼ばれる由縁である。
じゃあ本題の町並みの話へ。
岩村の城下町は岩村川を挟んで武家町と町人町に分かれており、かつての町人町のほうが保存地区。場所で言うと川の南側になる。
メインストリートである本通りの両側には昔からの町家が並び、商家町の名残が色濃く残っている。
改装されてはいるが、その多くはなんと江戸時代の建物であるというから驚きである。
本通りはゆるい坂道になっており、ゆっくり歩けば15分程度の距離。上のほうが職人町、下のほうが商人町であったらしい。実に分かりやすいヒエラルキーとなっている。
町並みばかりじゃ退屈しちゃうので、岩村名物「かんから餅」のかんから屋へ。
閉店間際だったけど快く入れていただき、無事に頂くことができた。
これがかんから餅。きな粉、ごま、あんこの3種類。5個で400円也。
素朴な甘さと餅の食感が舌の上で溶け合い、一度その味を知ればどこまでも堕ちてしまいそうなほどの絶品。そう、それはまさに女城主そのものであった。
このあたりからすっかり岩村の町に魅了されてしまい、言わばそれは女城主の手の上で踊らされているような感覚ですらあった。
これがハニートラップの町・・恐るべし岩村。
だらだら上って行くと道は枡形となっていた。かつてはここまでが下町、ここから先が中町であったらしい。
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コメント
岩村最高ですよね~
うちも気に入って今年は四回も行ってます。
これだけ素敵な場所なのに知名度が無いのが
残念。
でもGWとか結構賑わってました。
レオさん
お久しぶりです。岩村に行かれたのはサイトを見て気づいてました^^
確かに重伝建の中では地味なほうかもしれませんね~。これからに期待しましょう!
三重県の伊賀上野に行かれた事はありますか?
古い町並み(レトロな味わい)が残っててとても
イイですよ~
東海地区だか日本全国でかは忘れましたが
伊賀上野って去年一番観光客が増えた地域
なんですと。
海外からの訪問者が激増してるとか。
NARUTO人気のせいで(笑)
世界中で忍者ブームなのか(笑
伊賀上野は行こうとしたことがあるんですが、他の町で時間使いすぎちゃって泣く泣くスルーしましたw
それ、「海外」と書いて「ちゅうごく」と読むんですよね・・きっと。
まぁ確かに忍者で真っ先に思いつく観光地って伊賀上野ですよね。
でも…人が多いのは嫌だなぁ。