篠山街道の宿場町 福住の古い町並み

兵庫県
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京都の亀岡市から、緩やかに南下しながら西へ向かい、姫路へといたる国道が372号線。通称、「篠山街道」と呼ばれる国道である。

この篠山街道の途中、丹波篠山市内に「福住」と呼ばれる元宿場町があり、2012年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

前回書いた篠山城下の河原町から東へ10km強。篠山口駅からだともう5kmほど上乗せになる福住は現在はあまり交通の便がよいとは言えない。

萩や金沢、京都など、複数の伝建地区を持つ都市は全国にいくつかあるものの、それらは皆例外なく日本を代表する歴史都市や古都だったりするので、丹波篠山にふたつあるというのは正直意外な感じだった。

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宿場町と農村集落のコラボレート

福住の保存地区は、街道に沿って「福住」「川原」「安口」「西野々」の4つの集落から形成されている。一般的には「福住の町並み」と呼ばれるものの、実際は東西約3km強とかなりの広範囲に渡っている。

そのうち福住が宿場町として栄え、他の集落は農村だった。福住が伝建地区に選ばれた最大の理由がここにあり、“宿場町と農村集落の2つの歴史的景観が1つの街道に沿って連続する、全国的にも非常に貴重な町並み”なのである。

建物の特徴としては、河原町商家群と同様切妻屋根の妻入が多く、右側に見えるトタンの茅葺屋根がよく見られる。

前回書いた通り、丹波篠山は西国へと向かう交通の要衝だったため重要な拠点として位置づけられ、福住は江戸時代には本陣、脇本陣が置かれていた。

宿場町として大いに繁栄したものの、明治時代の鉄道敷設で大打撃を受け、さらに篠山口~福住をつなぐ国鉄篠山線(最終的には園部まで延伸される予定だった)の廃線でとどめを刺された格好になり、近代化の波から完全に取り残されることになった。

ただ、それが奏功し、福住は現在まで農村集落としての伝統的な町並みを残すことにつながったのである。
現在残る町並みは、江戸後期~明治期に建てられた町家が多く、当時の面影がよく残されている。

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福住に住もう!

そんな福住には、「福住わだ家」という1ヶ月単位で契約できる貸家がある。最近地方でよく聞くようになったいわゆる“お試し住宅”である。

ネットの記事を斜め読みすると、篠山に移住を検討している人の受け皿として好評なようで、維持修繕費の問題はあるものの、古民家の有効活用としてはとてもよい事例だと思う。

家賃は月5万円。田舎暮らし希望者にとっては、お試しで住めるというのはやはりありがたい。

実は筆者も田舎暮らしに興味を持つ側の一人であり、一時期地域おこし協力隊を本気で検討したことがあった。本業であるIT分野でも近年地方にサテライトオフィスを構える企業が増えているのでそっちのほうでも探したことがあり、まぁ結局実現はしなかったものの、将来的にいつかは田舎暮らしをしてみたいと今でも割と本気で思っていたりする。

少々脱線してしまったので話を元に戻そう。

福住の町並みは、見ての通り建物にあまり連続性がなく全体的に鷹揚としている。そして、アクセスの悪さも手伝ってか散策してる人を誰一人として見かけなかった。

地元の方もあまり観光客に慣れていないのか、農作業をしていたおじさんに物珍しそうな顔でガン見されてしまった。

伝建地区も千差万別だな、と思わせてくれた出来事だった。

かつて脇本陣が置かれていた場所には、現在市営住宅がある。が、見ての通り付近の伝統的建造物の意匠を完全に再現した姿で、付近の景観にすっかり溶け込んでいる。こういう家ならちょっと住んでみたい。

こんな感じ。現篠山街道(372号)に面しているので、国道を走ってきたときに「あぁここが福住か」というのがこれのおかげですぐわかった。

農村集落だったというのは、旧篠山街道から一本裏手へ入ったらよくわかった。逆に、宿場町だった頃の面影は今ではもうすっかり影を潜めてしまっている。

丹波篠山にあるもうひとつの重伝建。福住の町並み。
是非、河原町の妻入商家群と併せて足を運んでみてはいかがだろう。

[訪問日:2017年4月30日]


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